海といえばやっぱりその愛【ぴあトピア緑地02】

前回の続きです。↓

前回、ふと海が見たいなあと思いたち

福岡市博多区の『福岡サンパレス』裏へと向かったのであった。そして『ぴあトピア緑地』を徘徊していたところ

緑地の片隅にて、偶然にも思いがけない人物との出会いがあり、涙が頬を伝ったのであった。完。これが前回のあらすじです。

今回も『ぴあトピア緑地』を散策するお話が続きます。こんにちは。

さて、ミスターオガワさんの胸像をあとに、港に聳えたつ朱の巨大オブジェへ向かうことにします。

こちらに説明書きがありましたので↓

さっそく読んでみると↓

博多港引揚記念碑。博多港撤還帰国紀念碑。博多港は今日、海に開かれたアジアの交流拠点都市福岡市の玄関口として、また世界の主要港と結ばれた国際港湾として大きく発展しつつある。昭和20年の終戦直後、引揚援護港として指定を受け、約1年5ヶ月にわたり中国東北地区や朝鮮半島などから一般邦人、旧軍人など139万人の人々がこの港に引き揚げ、また当時在日の朝鮮人や中国人など約50万人の人々がここから故国へ帰っていったのである。永久の平和を願って

とのこと。近づいてみると↓

んーお皿のような船のような造形。↓

モニュメントの土台のところにも、メッセージが刻まれており↓

読んでみると↓

那の津往還。敗戦直後の失意とそのあとに興った生への希望をモニュメントとして制作。舟の上の本体(人間)の朱は、古代から愛されてきた色。那の津と呼ばれてきた博多港の希望を表現

つまり朱の部分は人間を表現していて、船に人間が乗っているというモニュメントのよう。こちらは、説明書きに添えられた、帰還当時の写真。↓

モニュメントからさらに北へ進んでみると↓

向こうに巨大観光船?フェリー?が近くに見えるんだけど、進めるのはどうやらここまで。

ちなみに振り返ってみるとこんな景色。↓

むむ。視線を感じたので左を向くと↓

やあ博多ポートタワーじゃん。(※以前訪ねたお話はこちらで!↓)。

海のそばにはフェンスがあって、どうしようもないので

 

とりあえず緑地の入り口そばまで戻ってみると、入り口すみっこにも碑を発見。↓

こちらは「いかりの碑」。怒りじゃなくて碇。怒りの碑でもかっこいいけど。碑には『博多港発祥の碑』と記してあって

“this is the place hakata port was first established.”

そして碇の上にはハト?鷹か。いや鷲?↓

碑の裏側にも説明書き。↓

ずいぶん読みづらいので、なんとなーくふんわり読んでみると↓

日本三大津の一つ那の津。古来より大陸文化受け入れの要衝の地であった博多港は明治32年に開港の指定。近代港湾としての道を進み国際貿易港として現在に至る。かつて魚市場も併設されていた

こちらのデザインも↓

なんだか船っぽい感じで

視線の先はこんな具合。↓

えチョ待って?ポートくんじゃん!?

そしてこれ。これはいったいなんなのか。入ったらどこかへテレポートしそうな雰囲気!恐ろしい!↓

というわけで、さっそく中に入ってテレポートしますよ。エイッ。っと『ぴあトピア緑地』を出て↓

通りを先へちょっとだけ進みます。(※ところで、このベンチかわいくないですか)↓

そこからさらに北へ向かうと↓

通りの角に記念碑があって↓

そばには説明書きも。↓

読んでみると

博多港工事竣工記念碑。1931年の第1期工事は、現在の中央ふ頭(南側部分)の埋め立て、防波堤の設置を行うなど、大型汽船が入港できる港を整備したもの。これにより近代港としての第一歩を踏み出すこととなりました。この記念碑は1942年に建てられ、記念碑の台座および周辺の敷石には旧博多船溜護岸(明治時代に築造)の石積で使われていた石を使用

とのこと。では通りを北へぐいぐい進みます。なぜならもっと海が見たいから。その結果はといいますと↓

やっぱりここにもフェンスがあって!私と海を!フェンスが隔てる!のであった。

もういいよ。一応海見れたんで、もう帰ります。完。別にいいよ海とか。


【ぴあトピア緑地】

福岡市博多区沖浜町1-14