大石垣の滴は甘露の味【大野城坂本登山口01】
これまでも数回登ったことのある【四王寺山】を先日再び登りましたので、今回はそのお話をしたいです。こんにちは。
それより少し前にも、福岡県大野城市乙金地区にある「福岡県市町村研修所」の脇からのびる、
『大城自然の宝道』を辿って四王寺山を登ったんですが↓
今回はまた別のコース。福岡県太宰府市に鎮座する『坂本八幡宮』脇の道から登って行きます。というのも↓
今回の目的は【大野城の大石垣】の見学なんです。その大石垣を見るには、この「坂本コース」がルートの中で一番手っ取り早そうだと私は考えたのだ!↓
ではさっそくスタートです。政庁通りから大宰府政庁脇の道を北へ上っていきます。
曲がってすぐのところに案内書きがありましたので↓
さっそく寄って↓
読んでみるとこうありました。
蔵司地区官衙。大宰府には実務を司る19の役所がありその多くが政庁周辺に設けられていた。政庁西側の丘陵は「蔵司」とよばれている。「蔵司」はもともと西海道(九州)九国三島(のち2島)の綿・絹などの調庸物はいったんここに集められ、一部は都に進上されました
続きます。↓
後方の丘陵上に礎石建物(倉庫)1棟、二重の築地、内部に建物5棟が見つかった
とのこと。ふーん。では引き続き山へ向かいます。↓
右隣は「大宰府政庁跡」。もうずいぶん前のことになるんですが、
政庁跡を訪ね、そのお話をしたことがあります。訪ねたよなあ(遠い目)。↓
そのまま進んだ左手には、こちらも以前訪ねたことのある
『坂本八幡宮』が鎮座。訪ねたよなあ(遠い目)。↓
さらに上っていくと、四王寺山頂と記された案内が出ていて
そのすぐのところには、
『オカッテサン』それから
『玄清法印之墓』も。
これらも、ずいぶんお久しぶりですといった感じ。↓
そのそばに案内が出ており↓
左へ進めば「九州自然歩道(水城跡)」、このまま真っ直ぐ進んでいくと【大野城跡(大石垣)】とあります。
さらにそこからしばらく歩いた先に登山口を発見!↓
一度振り返ってみると背後にはこんな景色が広がっています。もうこの時点でそこそこ高所まで来ていたみたい。
では山道へ入っていきますよ。↓
しばらく舗装路が続いたあと、↓
道の途中で「岩屋城」へと分かれる階段が右にのびます。が、↓
今回はまっすぐそのまま。↓
次に出てくる【大石垣】の案内で右へ入っていきます。↓
わりとのんびりした山道で歩きやすくて↓
春の小川はさらさら流れ↓
その流れに沿って一緒に歩いていくと↓
おもむろに!目の前に!石垣である。
ああ素晴らしい大石垣。突然だったので感動もひとしお。
足元には説明書き。↓
さっそく読んでみると
平成18年から石垣の復元を開始。困難を極めました。切り出した石のような表情と石垣の積み方はうまく表現できませんでした。地形の変化のため築造時通りにいかない部分も
こちらは、災害からの石垣復元にまつわるお話でした。
横からも見てみる。どんな角度からでも見てみたい。↓
ステキな感じ。上った先にはさらに道が続き、↓
そして再び説明書きがありましたので↓
こちらもざっくり読んでみます。↓
大野城と大石垣。大野城跡は白村江の戦の後、大陸からの侵攻に備えて西日本各地に築かれた山城の一つ。百済の亡命高官2名の戦略的技術のもと築城されたことから、朝鮮式山城とよばれています。尾根から少し下ったところに土塁と石塁をめぐらせ城壁とし、要所に城門と水門を配置
続きます。↓
この場所は石のみで築かれた長さ100mほどの城壁で、尾根の間にある2筋の谷を跨ぎ構築されています。現状で谷部分の石垣の高さは7mあります
とありました。こちら説明書きに添えられた地図と↓
豪雨災害時の様子。↓
では先へ進みます。↓
それからほどなくして、わりとあっさり山頂土塁部分に到着。お疲れ様でした。
ちなみに前回の登山時に、「毘沙門堂」から「水城口城門」まで
反時計回りに土塁跡を歩きました。
今回到着した場所と前回辿り着いた「水城口城門」までの間に未訪問のギャップがありますので、そこを埋めるべく、いったん時計回りに「水城口城門」まで歩くことにします。それから
再びこの地点まで戻ってきます。そして最後に「焼米ヶ原」で一連の訪問を〆たいと考えています。↓
お話の続きは次回に。よろしくお願いします。↓
【四王寺山坂本登山口】
福岡県太宰府市坂本