おほり小路から考えるお堀のお話【大名おほり小路】
先日のこと。
福岡市中央区の赤坂を貫く大正通りを警固方面へ向かって歩いていたんです。
すると通りの途中に左へ逸れる道があり、その通りの名は『大名おほり(御堀)小路』。
名前から察するならば。かつてここがお堀だったという歴史の記憶を、後世に残すべく名づけられた小路、それが『大名おほり(御堀)小路』なのだ(推測)。
せっかくですので、この通りに沿って一緒に左へ逸れてみることにしました。そのお話です。こんにちは。
通りは真っ直ぐ進むとすぐに突き当り。そこで曲がり角を右へ進みます。↓
住所で言うと、大名2丁目。↓
右へ曲がるとまたすぐに突き当り。すかさず今度は左へ進みます。というのも右へ行くと大正通りに戻りますから。
右へ左へとカクカク曲がりくねった通り道で、歩きづらい!もう曲がりたくない!あ、そういえば。
紺屋町のジョーキュー醤油前にもカクカク道がありましたよね。なつかしす。↓
方向も同じですし、距離的にもすぐそばですので、向かってみることにしませんか。ええ。
足元には「幹線道路舗装竣工記念」。↓
さて、肝心の『大名おほり小路』はというと、「大名中央通り」を境に「大名小前えのき通り」へと名前を変えることに。↓
今回は真っ直ぐ進まず、ここで右折してから左折します。なぜなら、ジョーキュー醤油前へ行きたいから!
左折するとそこは「紺屋町西通り」で↓
そのままぐんぐん突き当りまで進んだところが↓
ジョーキュー醤油前の!あの!カクカク通りである。もう曲がりたくない!
ちなみにカクカク曲がった先はというと、今度は「紺屋町東通り」へと続くことになります。
で、ですよ。以前に訪ねた時にもお話しましたが、ジョーキュー醤油の前には石碑があって、そこには↓
藩政時代、旧紺屋町(ジョーキュー醤油界隈)は『中堀』の南に位置しました、と記してあります。つまりこの通りの北が『中堀』であったということ。
また、『中堀』といいますと、以前訪ねた『西中島橋』(枡形門跡)の
橋の上に置かれたプレートには↓
慶長12年(1607)の福岡城築城によって、交易都市「博多」と新興都市「福岡」の二つの都市が双歴史を歩みはじめました。
東側は那珂川を境とし肥前堀・中堀を経て、西側は大堀とヤナ堀(黒門)で区画されていました
とありました。どういうことなのか。
ここでいったんまとめてみると、旧紺屋町(ジョーキュー醤油近辺)から北の『中堀』は、途中で肥前堀に引き続きながら、そのまま真っ直ぐ那珂川(博多川?)までのびていた、と。
さらに!この『中堀』なんですが、その開始地点は
こちらも以前に訪ねたことのある
『赤坂門(跡)』のところで
模型で見るとこういう具合。↓伝わってます!?
つまり、今までの推測を全部まとめるとこういうことなんです!↓
それを逆に、現代の地図にあてはめてみると(推測です)、こういうことなんです!↓
だいたい合ってといいな?全然違う?ちなみに『中堀』と『肥前堀』はどこでつながるのか、その辺もいまいち分かってません(私が)。↓
また詳しいお話が分かり次第、緊急でお伝えしたいと思います。敬具。
【ジョーキュー醤油】
福岡市中央区大名1丁目12-15