イノチツクスの神すなわちツクシの神【筑紫神社03】
前回の続きです。↓
前回、福岡県筑紫野市の原田地区に鎮座する【筑紫神社】を訪ね、そこで出会った狛犬の姿に胸がどきどきしちゃったのでした。↓
では今回も続きます。↓
まずはじめに、【筑紫神社】神門手前に鎮座する、↓
『五所神社』を訪ねてみることにします。↓
鳥居すぐそばには由緒書きがあって↓
読んでみるとこんな具合。↓
五所神社。ご祭神は「須佐之男命」「櫛稲田姫」「菅原道真公」「伊耶那岐大神」「少名彦名命」。五社神社は、大正4年に原田・筑紫村内にあった無格社五社が筑紫神社の境内に移転されてできたものです
そして↓
その五社とは、須賀神社(原田榎本)・須賀神社(筑紫字栗木)・菅原神社(同字城山)・須賀神社(同字倉良)・天満神社(同字太郎丸)。また昭和4年に御祖神社が合祀されました
では境内へ。両脇のイケメン狛犬がドヤっている間の道を、↓
恐縮しながら通って行きます。恐縮です。↓
拝殿。↓
なにかの石碑。↓
今度は神門を通って【筑紫神社】社殿へ向かいます。↓
おやまた狛犬。↓
こちらはなんだかツンとしてる。ツーン。↓
そして目の前に社殿。↓
振り返ってみると、こんな風景。↓
境内左手には社務所があって、↓
一方、右手には手水舎。↓
その手水舎隣に立派な石碑。↓
そばに説明書きがありましたので、↓
読んでみるとこうありました。↓
「まほろば」。丘や山に囲まれた中央の土地。「産土の神」。生まれた土地を守護する神の総称。古代から筑紫の神は、筑紫の国魂として国内鎮護の神である
石碑の奥に見えるのは「絵馬堂」!?かな!?↓
その絵馬堂前にご神木。↓
さらにこちらは「神木 筑紫松」。↓
そばには『筑紫神社 由来書き』が。↓
もちろん読みますよ。↓
ご祭神は「筑紫の神」「坂上田村麿」「玉依姫命」。奈良時代の「筑前国風土記」によりますと、『筑前と筑後の境となる山に荒ぶる神がいて、峠を行き交う人々を取り殺していました。その神は人の命尽(イノチツクス)の神』と呼ばれました。後にこの神を祀って筑紫の神と呼ぶようになりました
イノチツクスの神!かっこいい!この名前の『ツクス』が『ツクシ』に転じたと。
由来書きはもう少し続きます。↓
鎌倉時代から筑紫村の地頭職である筑紫氏が社司を兼ねていたけれど、筑紫氏は応仁・文明の頃より筑紫村を去って勝尾城に移居。のちに島津勢により落城。当社もまた兵火にかかり荒廃しました
ちなみに↓
現在の本殿は貝原益軒の愁訴により1712年に黒田藩主から資材を借りて再建したものです
由来書きの最後のところには、前回にも触れた『粥占い』の記述があって、↓
2月15日に炊いた粥を鉢(文化二年造)に盛って神前に納め、3月15日に粥面に生えたカビの色合いと毛草によりその年の作物および風水病害の判断をするものである
なるほど、判断の基準はカビの「色合い」と「毛草」か。そもそもなんでカビなのか。とても興味深い神事ですよね。それではいよいよ社殿へ。↓
お話の続きは次回に!よろしくお願いします。↓
【筑紫神社】
福岡県筑紫野市原田2550