鏡ヶ池は日照り続きでも枯れない【大野城坂本登山口02】

前回の続きです。

前回、福岡県太宰府市の『坂本登山口』から四王寺山を登り、その途中で見た大石垣にテンションぶち上がりって感じ!こんにちは。

ちなみに以前、大野城市乙金口から四王寺山を登った時には、頂上を囲む土塁跡を反時計回りに「毘沙門堂」から「水城城門」まで辿りました。

そこで今回はまず、到着地点と「水城口城門跡」までの間にある未訪問部分のギャップを埋めたいと思います。つまり↓

時計回りでいったん「水城口城門跡」まで向かうというわけです。方角としては「毘沙門天方面」を目指します。伝わらないこの想い、伝わって!!頼む!!↓

ではとにかくスタートします。↓

さあ見てください。このなめらかでクリーミーな山道を。山の上だと思えない。まるで新天町を歩いているように快適な道筋です。↓

でも周囲はこんな風景。そうこれが現実なんです。今山の上にいるんです。↓

道すがらには「三十三体石仏30番札所 千手観音」の姿を確認。↓

さらに『猫坂礎石群』へと向かう道筋も発見!名前がなんともかわゆいですね。猫坂はまた別の機会に訪ねてみたいです。↓

それではどんどん進んでいきますぞ。↓

するとおや再び石仏が。こちらは「三十三体石仏29番札所 馬頭観音菩薩」とのこと。↓

この坂道を下っていけば政庁跡まで40分で着くらしい。下山のコースにいいかも。↓

それはさておき、山道をさらにそのまま先へ進むと、前回最後に辿り着いた『創造の森展望台』に到着。ここでいったん↓

一休みしてから、全力ダッシュで駆け抜けたら、↓

案外さくっと「水城口城門跡」まで辿り着きました、これで未訪問部分のギャップが見事に埋まったというわけです。おめでとうございます。↓

おや!?まあ!?ここから下っても「坂本政庁口」へ辿り着くようです。道筋は無限大。さてここからは、↓

いっきに元々の場所へ戻ることにします。エイッ

ッと。というわけで、ここからは再び反時計周りの世界が始まります。↓

次に目指すは『焼米ヶ原』!!方角としては「増長天礎石群」方面を目指します。↓

さっそく反時計周りに歩き始めたら31番石仏の案内が出ており、↓

ちょっと難儀な場所だけど、頑張って寄ってみます。↓

こちらは「三十三体石仏31番札所 聖観音」とのこと。↓

そこからさらに少し上ったところが↓

『増長天礎石群』で、↓

こちらは以前、「観世音寺口登山口」から『岩屋城』まで上った時に、たまたま辿り着いた場所でもあるんです。だから今回は2度目の訪問となります。↓

ちなみに初訪問時、案内の中に『馬責め』なる文字面を発見して、ちょうどオリンピック開催年でもあったので、ドイツ選手が馬を叩いて失格したお話と見事にシンクロ。すごくはしゃいじゃったなあ。

そして今回である。復習という形にはなるけれど、いまいちど『増長天礎石群』をしっかり見学していこうと思います。↓

まずはこちらの説明書きから。↓

読んでみます。↓

大野城跡増長天地区。当地は城の南東部。大宰府口城門に近い内部土塁のすぐ内側である。4棟の高床建物(倉庫跡)が一列に並んで残っている。傾斜地を利用しているため石垣を造り、上段と下段に区切り格段に2棟ずつ配置している

続きます。↓

下段建物西側には鏡ヶ池とよばれる小窪地がありどんな渇水期でも水が絶えないという、大野城の井戸跡ではとも考えられている。増長天という地名は奈良時代に城の西端部の鼓峯(410m)を中心に作られた四王院に由来。建物の広さは梁行6.3m、桁行10.5m

とのこと。さらにいくつか説明書きが並んでいましたので↓

ざっとまとめて参照すると↓

増長天地区の倉庫群。復元を試みた結果、4棟の建物は床までの高さ約1.8m、屋根も含めた全体の高さ約8mで、3階だてビルと肩を並べるほどの高床式倉庫であった。その規模から4000解(約500から600人が一年に食べる量)のよう穀を収めることができたと推定されます

その様子がこちら↓

また↓

建物跡の役割。扉の内側には壁で仕切られた空間があり、そこから長期保存が可能となるようもみ殻が付いたままの稲穀を流し込むように収めました。稲穀で満たされると鍵をかけ、厳重に管理されました

説明書きに添えられた図。↓

続きます。↓

増長天地区の概要。大野城跡では70棟ほどの建物跡が見つかっており、最も南に位置する一群を『増長天礎石群』とよびます。標高約340mの高所にあり、4棟の礎石建物跡のほか、鏡ヶ池という小さな池がある。建物跡の背後の高くなっている場所には大野城の内側の内周土塁がめぐっています

大野城全体図。↓

内周土塁の様子。↓

続きます。↓

4棟の建物はいずれも瓦葺きの高床式倉庫。出土した瓦や土器から、大野城の築城から半世紀ほど過ぎた8世紀前半に北側の3棟が建てられ、少し遅れて南端の1棟が建てられたと推定されます。10世紀には役割を終えたようです

建物の並んだ様子。↓

「鏡ヶ池」の説明書きもあって↓

鏡ヶ池は土塁で囲まれた直径7mほどの小さな池。日照りが続いても枯れない池だといわれ、鏡を投げ入れ雨乞いしたという伝承も。城内に水を確保するため造られたと考えられますが、今も謎

その謎の池がこちら。↓

あぶねえあぶねえ。↓

内周土塁の中ほどには「三十三体石仏32番札所 千手観音」の姿も確認。↓

といったところで『増長天礎石群』の見学はこれにておしまい。いよいよ『焼米ヶ原』へ向かいます。

続きは次回!↓


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【増長天礎石群】

福岡県糟屋郡宇美町四王寺126