大土居水城跡の看板はわりと目立つ【水城02】

聞いてください。

先日【上大利水城跡/小水城ゆめあかり広場】を訪ねた際↓

広場内の案内板にこんな感じのことが書いてあったんです。↓

『水城の大堤』に連なっている小水城にはいくつかあって、まず大野城市には【上大利水城跡】がある。そして春日市には『大土居水城跡』そして『天神山水城跡』という小水城がある

『水城』というのはざっといいますと、白村江の戦いで敗けた日本(大和政権)が、唐と新羅からの攻撃に備えて664年に造った、↓

防御のための、土塁っていうか壁っていうかお濠っていうか、そういう感じのものらしく、↓

福岡県太宰府市の四王寺山の麓から西へと延びる

水城大堤の長さは約1.2キロもあるのだそう。また、↓

水城大堤だけでは足りない箇所、つまり空いた谷あいを埋めるように造った土塁を『小水城』と呼ぶらしいんです。

その小水城の一つである春日市の【大土居水城跡】を訪ねてみましたので、今回はそのお話です。こんにちは。

さて福岡県春日市の『いけいけ通り』を井尻方面から牛頸方面へと進んでいくと、フタバ書店があって↓

その隣りにゴルフセンターがある。↓

さらにその隣りにこんもりした森があるんですが、ここが今回の目的地である【大土居水城跡】。↓

『水城跡』の看板がずいぶん目立ちます。ドライバーのみんなは気になって仕方がないんじゃないか。↓

通りの向こう側にも林というか森みたいなのがあって、あちらも土塁跡。

 

つまりここ【大土居水城跡】は、大きな道路(いけいけ通り)で分断されているということ。↓

史跡を分断するほどの道路とは!!その名の通りイケイケだなと思ったけど、この名前はそういう意味ではないみたい。

この先にある白水大池の「いけ」からきている名前らしいです。チェっ。↓

そばに案内板がありましたので読んでみたいと思います。↓

【大土居水城跡】は小水城の一つで、水城大堤から西へ約3.4キロのところにあります。平成7年から11年にかけての調査で、土塁の下に木樋があることが確認されました。

この木桶は水城大堤との共通点が多くみられ、一連の防衛施設であったことを裏付けています

とのこと。

木樋はこんな具合に、博多側の濠と大宰府側の濠をつなぐ感じで、水城土塁の下を通っていたと。つまり導水管の役割。↓

またここ【大土居水城跡】には、土塁跡が約100m残されていたそうです。

さて、階段があるのでちょっと上ってみましょう。↓

こちらは『いけいけ通り』に姿を変えた、かつての土塁の跡。↓

丘の上には祠があって↓

うっすらと神社が見えます。鎮座するのは【大土居八幡宮】。訪ねてみましょう。↓

通り沿いにある鳥居をくぐって↓

そのまま進むと↓

こちらが本殿。↓

由緒書など見当たりませんでしたのでネットで調べたところ、『白水八幡宮』の摂社ということらしいです。森の一番高いところに鎮座していました。

(※白水八幡宮のお話はこちらで!↓)

ではついでに、通りの向かいにあるもう一つの土塁(分断されたもう一方)も訪ねてみると↓

そこは雑木林といった趣で、木漏れ日が良い感じ。といったところで見学はおしまいです。

今回の訪問で、水城跡を巡るのも2ヶ所目。次は『天神山の水城跡』(↓)を訪ねてみたい。もうイケイケである。


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【大土居水城跡】

福岡県春日市昇町8丁目