天神山水城跡は古墳のかほり【水城03】

前回の続きです。今回も『水城』のお話となります。↓

これまで、いくつかある『水城』のうち「上大利水城跡」(↑)そして

前回記事で取り上げた「大土居水城跡」(↓)という

2つの水城跡(小水城)を訪ねてきました。↓

今回は3ヶ所目の「小水城」、その名も【天神山水城】を訪ねたいと思います。こんにちは。

 

まず、あらためて『水城』とはなにか簡単に説明してみますと↓

白村江の戦いで敗れた日本(大和政権)が、唐・新羅の連合軍の攻撃に備えて造った防衛施設。土塁であり濠であり壁であり、といった建造物。

「小水城」というのは、四王寺山から約1.2キロの長さの「水城大堤」の、さらに先の谷あいに造った小さな水城のことである

おおよそそんな感じかと思います。↓

そして今回、春日市にある【天神山小水城】を訪ねてみようというお話です。↓

【天神山水城跡】は、前回の『大土居水城跡』(小水城)からほんのすぐそばの場所に位置しています。歩いて10分かからないくらい。

ではさっそく向かいましょう。春日市の「いけいけ通り」を牛頸方面へ向かって進み、大土居の交差点を右折。↓

そこから「春日中央通り」を少し歩くと、天神山のバス停があって↓

この辺から住宅街の中へふらふらっと入っていくと↓

こんもりした森がある。↓

その森の前には入り口があって、そこに案内板がありましたので、さっそく読んでみます。↓

太宰府市と大野城市にまたがる大堤(大土塁)とその西側に連なる丘陵の谷間に造られた土塁の中で、天神山はその西端にあたります。

【天神山土塁】は自然丘陵を利用し、大土居側へ人工の土塁を造っています

とのこと。

つまりここは、四王寺山から始まる『水城』の西のはじっこってこと(小水城を含めて)。

入り口前から頂上へ向けて、こんな感じで階段が上へのびているんですけど↓

なんと私は階段を上らないのだ。上るの拒否!!ほら、雨だから。

パリオリンピックに寄せて一言【新・大土居水城跡】

今回はパス。パスオブパスってことで、それから後日、ある晴れた日に再訪したお話に続きます。↓

幾千の時を経て、お待たせしました。さあ、はりきって上っていきます。↓

森の奥にも案内板がありましたので↓

さっそく読んでみると、古墳がどうとかこうとか書いてあります。↓

この丘陵は天神山という名前。山頂部には前方後円墳と円墳が1基ずつあります。前方後円墳は天神山古墳とよばれ、長さ約35メートル、後円部約20メートル、前方部長さ約17メートル。発掘調査をしていないため詳細は不明。横穴式石室で、6世紀の古墳の可能性があります。またそばに円墳も存在しています

白村江の戦いは663年、そして『水城』の建造は664年。6世紀ってことは、この古墳のほうが『水城』より古いことになります。

こちらが円墳ぽくて↓

こっちが前方後円墳ぽい。↓

『水城』はこの西端の地から、谷あいの隙を埋めるように東へと続いていくわけです。

さて天神山を下りると、向こうにゴルフセンターが見えます。あの辺りが前回訪れた『大土居水城跡』。↓

また天神山のちょうど裏側(表側?)にあたる場所にも↓

案内板が立っていて、そこには↓

【天神山小水城跡】と記してあります。そしてその案内板の裏にも↓

隠れるように説明書きがありましたので、読んでみたいと思います。↓

土塁は道路下にも隠れており、その規模は高さ5メートル以上、横断面の幅20メートル以上、土塁の長さ140メートル以上と推定されます。

道路によって切り取られた土塁の断面は2段の台形状で版築工法が使われています

つまりこんな感じ。最も西に存在する水城。↓

ここから東へ向かってちょっと歩くと、↓

住宅街の中に『四季のみち緑地』という緑道が整備されており、↓

その緑道は、ゴルフセンター脇を抜けて、↓

最終的に『いけいけ通り』手前の大土居交差点そばにつながるようになっていました。↓

つまり【天神山水城跡】を辿って小道を通り、そして出てきたところがちょうど『大土居水城跡』という具合。繋がってるう!!↓

以上【天神山水城跡】のお話でした。

小水城跡を訪ねたつもりが、思いがけず古墳まで見つけて、だいこーふん。

水城を辿る旅はまだまだこれからも続いていきます。よろしくお願いします。


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【天神山水城跡】

福岡県春日市天神山1丁目156