大石を抱え起こすことが出来る条件【古賀皇石神社】

福岡県古賀市の美明地区に鎮座する【古賀皇石神社】を訪ねましたので、そのお話をしたいと思います。

香椎バイパスから鹿部の交差点を北へ進んだあとに、今度は東へ進むと↓

住宅街の隙間の路地に鳥居が立っています。↓

こちらが今回の目的地【古賀皇石神社】。↓

一の鳥居すぐのところには境内社の『荒波神社』が鎮座していて↓

その隣りには石碑が立っている。でも読めない。なんて書いてあるのだろう。↓

石碑すぐそばのところには【皇石神社】由緒書きの碑がありましたので↓

こちらは頑張って読んでみました。↓

ご祭神は「埴安神」。享禄3(1530)の神殿再建の棟札には『大石大明神』とよばれています。ご神体は平たく巨大な立石。
神功皇后によると「もし新羅を征する力があれば、この大石を抱え起して立てることができる」とのこと。文政3(1820)に社名が『皇石』に変わりました

もう少し続きます。↓

明治31年、神殿後方より銅剣・銅戈が発見されました。弥生時代の貴重な甕棺墓遺跡として春日市岡本の遺跡とともに学界の注目するところとなりました

(※春日市岡本の遺跡のお話はこちらから是非!↓)

続きます。↓

昭和47年には社地西北麓に多量の祭祀土器が発見。なお社地に接した鹿部山はもと三つの峰から成っていました。その南麓には数多の古墳群が散在。
すなわち鹿部山一帯は弥生時代から続いてきた聖域で、本社はその中心の槙の巨木群におおわれた由緒ある宮どころである

私なりにまとめてみると→ここは鹿部山(ししぶやま)である。そこには【皇石神社】が鎮座しており、また古代より聖域とされた場所でもあるよ、ということっぽい。↓

境内社『今宮神社』。↓

では参道の石段を上っていきます。↓

上り終えるとそこは境内で↓

いきなり防火用水!↓

境内奥に見えるのは↓

境内社の『貴布祢神社』そして↓

『浦口神社』からの↓

『須賀神社』。↓

そしてこちらが、ザ【皇石神社】。↓

由緒書きにあったご神体の巨大石は、この本殿に祀られているのでしょうか。↓

というか神功皇后はこの地でいったい何をしていたのか。石なんて抱えて。↓

それはさておき。

 

【皇石神社】は山の中腹辺りに鎮座しているといった感じで、その境内からはさらに上り道が続いています。↓

途中に公園があったりして。↓

さらにどんどん上っていくと↓

ここは山頂で↓

あれが展望台で↓

そしてお話は次回に続くのであった!よろしくどうぞ。↓


【古賀皇石神社】

福岡県古賀市美明1丁目25-1