マキ君とマキちゃん!?こんにちは!?【須賀神社】
前回の続きです。(→幸神社で今年の私は幸せのはず【橋本八幡宮】)
前回は、祝2022とかなんとかいって、福岡市西区に鎮座する【橋本八幡宮】を訪ねました。そんな初詣。↓
そして参拝のあとに、ちょっと辺りをぶらぶら徘徊していると、境内のちょうど真裏辺りに【須賀神社】が鎮座するのを見つけたのであった。↓
では今回も続きます。さっそく【須賀神社】を訪ねてみたいと思います。↓
鳥居をくぐって境内へ。↓
こちらが社殿。↓
拝殿内をちらっと失礼して。↓
振り返るとこんな景色。↓
由来書きがありましたので↓
読んでみるとこんな具合。【須賀神社】じゃなくて【橋本八幡宮】の由来でした。↓
村の南松林にある。柴田内蔵助繁信によって勧請。紅葉原八幡宮に遷座されたあと、その跡に今の社を重建。村中に馬場の前という所あり。光之公が誕生した場所である。
とのこと。
その社殿裏には『橋本天神』。↓
また、【須賀神社】隣りには『稲荷大明神』があって↓
そばに案内板。↓
読んでみますね。↓
黒田藩3代黒田光之公はここ橋本の地で生まれ、その胞衣(胎盤)が稲荷神社の中の石下に納められているので、「石の上に上がらないように」と伝えられています。
ほぅ。気になります。さっそく先へ進んでみると↓
確かにそれらしき石がありました。↓
横から見たらこんな感じ。↓
そばの石碑にも『光之公誕生のヨナ埋葬之地』の記載。↓
それでは再び、今度はこちら裏側の鳥居から【橋本八幡宮】境内へ入ります。↓
『神木男マキ』。誰なんだろう。宝石の宣伝を思い出す名前ですけど。↓
するとこちらには『神木女マキ』が。↓
どういうことです!?男巻女巻!?というわけでもないし。どうやらこちらは、槇の木のご神木ということみたいです。↓
さらに先へ進むと↓
戦没者慰霊の碑。↓
そして、境内の小さな小川へ戻ってきました。↓
今年の初詣はこれにて終了。
今年も一年よろしくお願いします。私以外のみなさん、頼みましたよ!!↓
【須賀神社】
福岡市西区橋本2丁目8