丘しいな!!島った!!っていうね【方ヶ島八幡宮】
前回の続きです。
ちなみに前々回はといいますと糟屋郡粕屋町に鎮座する
『阿恵日守八幡宮』を訪ねました。↓
そして前回は、やはり粕屋町に鎮座する↓
【日守神社】を訪ねたのであった。こんにちは。↓
ちなみに訪ねたきっかけは【御手洗神社】の訪問にさかのぼります。↓
あれこれ調べもので、志免町のHPを参照していたら
なんだか楽しいお話を見つけてしまったのだ。それはこんな具合。↓
かつて神功皇后が出産のため、香椎から宇美へ旅をしていた道中のことです。
道のそばの川で手を洗われたので、その地は「御手洗」。方角を尋ねられたところが島のように小高いところだったので「方ヶ島」。
陣痛が起き「はらいた」と言われたので「原田」。腰掛けて今何時か尋ねられたので、石を「日守石」
行く先々で面白ネームが生まれる、そんな神功皇后ゆかりの地を訪ねてみたいと思い、二社を巡ってきたというわけです。
そして今回は、【方ヶ島】を訪ねてみようと思い立ったのである。↓
では、さっそく向かいますね。糟屋郡志免町の『旧志免鉱業所竪坑櫓』が見える
『志免鉄道公園』の前の通りを↓
まっすぐ進んでいきます。↓
この辺りは↓
以前『勝田線』を辿ったときにも訪れたことがあります。
通りのちょっと先の右手のところに『コミュニティーセンター』があって↓
方ヶ島児童公園!!方ヶ島の文字を発見です。↓
どうやら児童公園はセンターの裏手にあるみたい。↓
この「方ヶ島」と呼ばれる場所こそが、さきほどのお話の中の「神功皇后が方角を尋ねたという場所」ではないかとされています。↓
センターの敷地奥には石碑が立っており、近寄って良く見てみると『方ヶ島八幡宮』と刻まれている。↓
「神功皇后」を祀った神社がかつて鎮座していて、それが『方ヶ島八幡宮』、とかそういういうことでしょうか!?
石碑の裏を見てみると、そこにはこう記してありました。↓
古来神功皇后、応仁天皇の安産地の方向を比地に於てお定めになった事腐と伝えらる
やはりこの地で間違いないですね。間違いない。
ちなみに志免町のHPにはこんな記述がありました。↓
「方ヶ島」の名の由来は、現在残っている石碑がその面影を偲ばせる。裏面右側に「大正十三年四月五日建」「昭和三十二年五月十日改建」と刻字されている。
以前この地には「方ヶ島八幡宮」というお宮があり、古老の話では昭和の初めまでお堂があったということである
ビンゴ!だけど、周囲に説明書きなんかは見あたりませんでした。
さらに、なんですけど。この地は【方ヶ島遺跡】でもあるらしいんです。
やはり志免町のHPを参照します。するとこういう記述がありました。↓
方ヶ島遺跡。古墳時代の遺跡です。現在は志免2コミュニティーセンターが建っています。土壙(こう)からは土器のほかに2種類の貝が出土しました
それはつまり↓
遺跡跡であり、神功皇后の言い伝えの地であり、八幡宮が鎮座していた地であり、現在はコミュニティセンターが建っている
コミュニティセンター裏へ廻ってみると【方ヶ島公園】があって
園内には相撲の土俵っていうんですか。↓
これはなんだろう。宇宙?スペイシー?↓
ところで、私気になることがあるんです。
『方ヶ島』っていうけど、どうして島なんだろう。場所的に丘だったら分かるんだけど、島?
この辺りには、かつて水辺があったとか?
もしくは、言葉の響き的な。雰囲気的な。島好き的な!?は、宇宙的な!?
おしまい。
【志免2コミュニティーセンター】
福岡県糟屋郡志免町志免1丁目13-17