宇美(川)は広いな大きいな【御手洗八幡宮】
福岡県糟屋郡の志免町に鎮座するという【御手洗八幡宮】を訪ねてみました。こんにちは。
福岡空港国内線を起点に↓
空港通りを志免方面へと進みます。↓
そして稲城の交差点を右へと曲がると↓
橋が架かっていて川が流れているんだけど↓
これが、ザ宇美川で↓
そのまま宇美川に沿って下っていけば↓
通りのちょっとだけ先のところに【御手洗八幡宮】が鎮座しています。
緑がこんもり見えてきて↓
こちらは境内の裏側。↓
つまり正面はこちら。↓
鳥居をくぐって境内へお邪魔します。↓
そばの由緒書きを読んでみると↓
多分こんな具合だと思います。でも違ってたらごめんだけど許してほしい。↓
『筑前名所図絵』なるものがあって、その図絵の『亀山八幡宮』を説明するところには「別府枝村に御手洗というところがある。神功皇后が手を洗われた場所である」と書いてあります
そして↓
「其の所(御手洗!?)に鎮め祀っている神を、二カ所に崇め祀っています。」という説明が図絵にあります
「其の所」というのが、果たして何を指しているのか。そして二ヶ所というのはどことどこなのか。そこがさっぱり分からない。分からないけど、続けて読み進めます。↓
また『筑前国続風土記拾遺』には「亀山八幡宮は別府と御手洗という両村の産土神です」とあります
とあって、最後はこういう風にまとめられています。↓
したがって、御手洗八幡宮と亀山八幡宮は同じころに奉祭されたものと思われる
二ヶ所というのは「別府と御手洗」の二つの村のことを指すのか、はたまた「御手洗八幡宮と亀山八幡宮」の二社のことを言っているのか?難しい。むずい。
ちなみに!ちょっと前のことですが、記述にある『亀山八幡宮』を訪ねたことがあるんです。(※そのお話はこちらで!↓)
両社(御手洗八幡宮と亀山八幡宮)の位置関係はこんな感じになっていて↓
ついでに言うと、これらはちょうど『旧勝田線』の二駅区間でもあるのだ!!
(旧勝田線跡の現在の風景↓)
由緒書きは続きます。
さらに『糟屋郡神社誌』には↓
神功皇后が三韓出兵より帰還され宇美での出産へ向かう途中、この地で手を洗われたことから八幡宮をお祀りしています
という記述がある、とのこと。
そんな【御手洗八幡宮】のご祭神は「応神天皇」「神功皇后」「玉依姫命」。
志免町HPの方ヶ島(ほうがしま)のページに【御手洗神社】に纏わる楽しい記事がありましたので、参照させていただきます。ありがとうございます。↓
神功皇后は、三韓出兵から帰還。姪浜(福岡市姪浜)の袖浜に上陸されました。香椎宮(福岡市香椎)にて、御産所をどこがよいか占うと「蚊田の邑」(宇美)となったのでその地へ向かうことに
からの↓
道のそばの川で手を洗われたので、その地は「御手洗」とよばれるようになり、方角を尋ねられたところが島のように小高いところだったので、その地は「方ヶ島」に
また↓
陣痛が起き「はらいた」と言われたので、「原田」という地名になり
さらに↓
道端の石に腰掛けて「日を守りたまいて(太陽をじっと見て)今何時か」と尋ねられたので、この石は「日守石」と呼ばれることに
そんなこんなで↓
神功皇后は「蚊田の邑」に到着。無事に応仁天皇を出産されたのでした
なんとも壮大なお話ではないですか!
行く場所全てを、自分にまつわる地名にしてしまうカリスマ性。それが神功皇后。(HPの挿絵がとてもステキでした)
で、こちらが社殿。↓
うねうね狛犬。↓
ちらちらっ。↓
記念碑にはこんな記述。↓
御手洗地区は梅雨になると宇美川が氾濫して大災害。そこで福岡県による改修工事が行われ、河川敷になってしまう本殿拝殿を、約10メートル東へ移転しました
つまりかつては
こちらの宇美川のあたりに【御手洗八幡宮】は鎮座していた、ということ!?っぽい。↓
結局『亀山八幡宮』と【御手洗八幡宮】の関係は分からなかったけど、仕方ありません。きっといつか分かる日が来る、その時を待ちたい。完。
【御手洗八幡宮】
福岡県糟屋郡志免町御手洗2丁目8-20