ランドマークしか勝たん【旧志免鉱業所竪坑櫓】
先日、福岡県糟屋郡志免町にある【旧志免鉱業所竪坑櫓】を訪ねました。※竪坑櫓は「たてこうやぐら」と読みます。
遠くからでもよく目立つ、志免町のザ・ランドマーク。↓
かつて栄えに栄えた炭鉱の名残りが、今でも少し寂しげにここ志免町の片隅で佇んでいる、そんな趣きです。↓
現在(2019年8月)、竪坑櫓にはカバーが掛かっており、どうやら改修工事の真っ最中のよう。
工事以前の様子はこちらの写真で。全体はこんな感じです。↓
(※工事後再訪問したお話はこちらで!↓)
さて、この大きな竪坑櫓は、志免町総合福祉施設「シーメイト」の敷地内で保管されており↓
ちなみに「シーメイト」というのは志免町HPによりますと↓
志免町(シメ)の仲間(メイト)が集う場所
という意味とのこと。むむ!!むむむ!!
その「シーメイト」からわりと近くのところに『志免町役場』があって、役場内には「志免町歴史資料室」が常設してあるとききましたので、↓
せっかくですし、ちょっと歩いて訪ねてみると、資料室では、ミニチュア模型や展示物によって、炭鉱や志免町の歴史を学ぶことができるようになっていました。↓
というわけで、ここからは、資料室で学んだ知識をフルに活かして『竪坑櫓』に迫ってみたい。↓
では、いきなり成果を発揮します。志免町の『しめ』というのは、宇美八幡宮の注連縄(しめなわ)からきているのだ!!タメになるう。↓
それはさておき。そもそもなんですけど『志免鉱業所』というのはいったい何かといいいますと、日本海軍の戦艦などで使用する石炭を採掘するために、明治22年に開設された建造物で、↓
それからのち昭和18年には、日本海軍によって『竪坑櫓』が建造されたのだそう。↓
戦後になっても、蒸気機関車などの燃料として石炭の採掘は続いたんだけど↓
エネルギー革命によって閉山。1964年に稼動を停止。↓
そんな激動の歴史を辿ってきた『旧志免鉱業所』。↓
今度は、その建物自体の仕組みを見ていきましょう。
このレトロフューチャーな建造物『竪坑櫓』(やぐら)。その全貌がこちら。↓
坑夫や石炭、資材の搬出に使ったエレベータービルディング。地上52.2メートルの高さを誇り、櫓の地下430mまでいくことができます。櫓上部の巻き上げ機で「ケージ」とよばれる籠の昇降を行っていました
また↓
鉄筋コンクリート構造のワイディング・タワー型と呼ばれるもので、日本ではここだけ。世界でみても、ベルギーのブレニーと中国の撫順の2か所だけ
ということらしい。
こんな構造になっていて↓
『竪坑櫓』のすぐ近くにあるこの穴は、『斜坑口』。↓
資材や人を運んだり、また排気や配水などにも使われた穴。↓
また、シーメイトそばには
旧勝田線の『志免駅跡』(↑)もありました。↓
『旧志免鉱業所』で掘り出された石炭は、この駅から運び出されたそうで↓
現在は「志免鉄道記念公園」としてきれいに整備されています。↓
園内にはこんなプレート。↓
そして、昔の景色と今の景色。↓
おわり。
【旧志免鉱業所竪坑櫓】
福岡県糟屋郡志免町志免(大字)495-3