斉藤秋圃は特に鹿の絵に秀でたという【はかた伝統工芸館】
ちょっと前のことですが、大野城市乙金地区に鎮座する『乙金宝満神社』の境内へお邪魔した際、
絵師『村田東圃』の描いた絵馬にまつわる説明書きを読んだというお話をしました。こんにちは。
ん?村田東圃!?どなたです!?さっそく『村田東圃』ついて調べてみたら、どうやら彼は筑前四大画家の一人という大変立派な人なのでした。さらにいうと、彼の妻千賀もまた美術に長けた人だったんです。
また村田東圃とともに筑前四大画家とよばれた一人に【斉藤秋圃】なる人物がいて、彼についても調べてみたんです。wikipediaで。
今回、復習も兼ねて、ざっと参照してみたいと思います。↓
斎藤秋圃は、江戸時代後期から末期にかけて活躍した四条派の絵師。福岡藩の支藩・秋月藩の御用絵師。筑前四大画家と呼ばれた。
京都出身。文政11年(1828年)隠居し、大宰府に居を移す。墓は光明寺。福岡で活躍した仙厓義梵と交流が深く、一説に仙厓義梵の師とも言われる.
福岡市博物館の2階展望ロビーの壁に秋圃の「博多太宰府図屏風」が刻まれている
福岡市博物館の2階に秋圃の作品が!?これは行くっきゃありませんよね!?ってことでさっそく訪ねてみましたので、そのお話をしたいです。聞いてください。↓
博物館に入館すると目の前に大きな中央階段がのびている。そこを颯爽と上った先に受付がありましたので、係りの方に秋圃の絵について尋ねてみました。
するとこんな答えが。
あなたが探している斉藤秋圃のなにかしらは、奥に少し歩いていった場所にある。だがしかし。現在その場所には【はかた伝統工芸館】が入っており、あなたは見つけるのにひと苦労するであろう
という言いかたは一切してないんですけど、丁寧にそういったことを教えてくださいました。
そこでさっそく【工芸館】内へお邪魔すると、やや。伝統工芸がいっぱい!ステキ!でもザ斉藤秋圃って感じのものはさっぱり見当たりませんよ!?とかいってたら!!
こちらの展示ケースの中に、以前お話をした『博多おきあげ』の姿を発見。そうですそうそう。
これは、絵師村田東圃の妻千賀が博多に広げたという伝統工芸『博多おきあげ』。
説明書きがありましたので、読んでみるとこうありました。↓
全国的に下絵をもとに布や綿を使い立体的に仕上げることを押絵というが、博多では「おきあげ」。「博多おきあげ」は村田東圃の妻千賀が始めました
押絵のことだったのか。で、ですよ。肝心の【斉藤秋圃】の方はどうなってるんですかと。工芸館のスタッフの方に尋ねてみると、
あなたが永年探し求めているモノは壁に架けられたこの作品ではないかな
という言いかたはしてないけど、やはり丁寧に教えてくださいました。
こういう感じか。てっきり額縁に入った作品を想像していました。虚を突かれたましたよ。
っていうかですよ、壁にあたる光の具合で、鑑賞難易度高め!!でもね安心してください。
そばに説明書きがありましたので、↓
読んでみたいと思います。
博多・太宰府図。本図は斉藤秋圃が描いた博多・太宰府屏風六曲一双のうちの博多湾沿いを陸側から俯瞰的に描いた図
!?え!?続きます。↓
斉藤秋圃は筑前四大画家のひとり。秋月藩のお抱え絵師となったが、藩を離れ晩年は太宰府に。花鳥・人物・武者絵をよく描き、特に鹿の絵に秀でた
とのこと。つまり壁に架けられたこちらは、斉藤秋圃の絵を基にした別の人の作品ってことみたい!?とにかく無事に鑑賞できました。ここでおまけのお話を一つ。
結構前に『太宰府天満宮』を訪ねたことがあるんですが、
その訪問時、西鉄太宰府駅裏手のところに、斉藤秋圃の住居跡って案内板を見ていたんですよ。
すっかり忘れてた。ほら、光明寺からまっすぐ歩いてきたところ。分かります?
説明書きもありました。
読みますね。↓
この地は江戸時代の秋月藩御用絵師斉藤秋圃が隠居後に住んでいた所。太宰府の賑わいを描いた『博多太宰府屏風』などの作品で知られます
それからもう一つおまけのお話。太宰府にある『太宰府歴史ふれあい館』をこちらも結構前に訪ねたことがあって、
その時の催し物が斉藤秋圃に関連する展示だったっぽく、↓
さっぱり記憶にないんだけど↓
結構しっかり見学していたのだった。
例えばこちらとか↓
こちらとか。↓
終わります。
【福岡市博物館2階はかた伝統工芸館】
HP:https://hakata-dentou-kougeikan.jp/
福岡市早良区百道浜3丁目1-1