女の子誕生を祝しておきあげを贈る習慣【村田東圃】
前々回、そして前回と2回に渡り、
大野城市乙金地区に鎮座する『乙金宝満神社』にまつわるお話をしてきました。
その訪問の際に、「夏越祓いの絵馬」は村田東圃という絵師によって画かれたものだということを知ったわけです。
なるほど。でもでもだけども、村田東圃とはいったいどんな人物なのか。どういった絵師だったのか。失礼ながら存じませんでしたので、
さっそくバチコン調べてみることしました。今回はそのお話です。こんにちは。
とにかくまずはネット検索。すると福岡市博物館のHp内記事にこんなお話が記してありましたので
参照させていただきます(ありがとうございます)。↓
村田東圃(1802-1865)は江戸後期に活躍した「筑前四大画家」のひとり。山水画を得意としました
ちなみに筑前四大画家というのは、↓
斎藤秋圃、桑原鳳井、石丸春牛、村田東圃
の四名を指すのだそう。wikipediaにはこの四名のうち斎藤秋圃について詳細な説明がありましたので、↓
おおよそのところをざっと参照させていただきます。↓
斎藤秋圃は、江戸時代後期から末期にかけて活躍した四条派の絵師。福岡藩の支藩・秋月藩の御用絵師。筑前四大画家と呼ばれた。
京都出身。文政11年(1828年)隠居し、大宰府に居を移す。墓は光明寺。福岡で活躍した仙厓義梵と交流が深く、一説に仙厓義梵の師とも言われる.
福岡市博物館の2階展望ロビーの壁に秋圃の「博多太宰府図屏風」が刻まれている
とありました。(※光明寺については、太宰府天満宮を訪ねたこちらの記事も!↓)
ちなみに東圃と秋圃の『圃』の文字にはなにかつながりがあるのでしょうか。たまたま!?
さて、福岡市博物館HP内記事にはさらに村田東圃にまつわる記事がありましたので、
こちらも参照させていただきます(ありがとうございます)。↓
博多町人出身の画家として、文人画に優れた石丸春牛、村田東圃がいます。東圃は製墨・文具商の出身で、文人画のほか、松永花遁(之登/しと)の肖像画、子の香谷とともに地元の絵馬や山笠などを画きました
ここでいう絵馬の中には、『夏越し祓い祇園踊りの絵馬』も含まれることでしょう。また松長花遁というのは人物の名前、かつての博多の豪商なのだそう。
といった具合に、だんだんおぼろげながらですが、村田東圃という人物の輪郭が見えてきた気もしないでもないです。
さらに今度はアクロス福岡のHP記事内にこんなお話を見つけました。↓
博多おきあげ。厚紙で花鳥や人物などを作り、布でくるみ、中に綿を詰めて立体的に盛り上げる押し絵のこと。もともと、江戸時代に宮中の女官らによって作られていて、幕末に、今の博多区須崎町にいた画家・村田東圃の妻・千賀が博多の町に広めたと言われています。博多おきあげの魅力は手描きの繊細さと表現の豊かさにあります。明治、大正時代には博多の女性の教養の一つでした
東圃の妻もまた美術に秀でた人物だったようですね。「博多おきあげ」という伝統工芸の存在も初めて知ることができました。どこかで見たことがあるようなないような気もしないでもないけど。
同アクロス福岡HP内記事には「博多おきあげ」に関する別の記事も見つけましたので、
こちらも参照させていただきます(ありがとうございます)。↓
福岡の伝統工芸、博多おきあげ。下絵を布や綿を使い立体的に盛り上げる押絵のこと。博多には女の子の誕生を祝しておきあげを贈る習慣がありました
といったところで、今回のお話はおしまい。筑前四大画家のお話が「博多おきあげ」なる素敵な工芸品のお話までつながりました。
ご清聴ありがとうございました。