カテナチオは堅守速攻の総称で閂の意【福岡藩精煉所跡】

先日、博多区界隈をぶいぶいぶらぶら歩いていたんです。こんにちは。

街中は、そろそろクリスマスモード。通りには多くの人が行き交い、色んな国の言葉が飛び交っています。

そこで自分も観光客になった気分でキョロキョロ辺りを見廻しながら歩いていると、

明治通り沿いにふとなんか!なにかを!発見したのであった。

ねえ、ちょっと!挟まれ過ぎじゃんか!!ぎりぎり!!GIRIGIRI。ふと人参畑塾の碑を思い出させる光景です。↓

いったいどういうこと!?ここにも塾があったってこと!?

横断歩道を渡って通りの向こうからも撮ってみる。これ激写。

そして再び近づいてパチリ。そうです。ほら細い隙間に石碑が立っている。こんな細いところにどうして!?

いや待てよ。石碑は元から立っていて、あとから両サイドを固められたのかもしれません。

場所は地下鉄中洲川端駅出入り口そば。↓

石碑を良く見てみると【福岡藩精煉所跡】と記してあります。つまりその名のとおり、かつてこの地に福岡藩の精煉所があったということ。

 

で、ところで、精煉所とはいったいなんなのか。さっそく調べてみました。↓

鉱石から特定の金属を取り出す「精錬」を行うための施設・工場。(weblio辞書より)

とのこと。ふうん。分かったようで分からない。そこでもう少し調べてみると、ここ【福岡藩精煉所】は福岡藩11代藩主黒田長溥による開設だという情報がありました。

そこで今度はwikipedia『黒田長溥』の項を読んでみたいと思います。↓

長溥は蘭癖(西洋趣味)大名。近代化路線を推し進め、中洲の一部である博多岡崎新地に精練所と反射炉を建設。見込みのある藩士を積極的に出島へ派遣し、西洋技術の習得に当たらせた

続きます。↓

幕府に対しては積極的な開国論。慶応元年(1865年)、藩内における過激な勤王志士を弾圧した(乙丑の獄)。また杉山茂丸らとも交流がある

(※乙丑の獄についてはこちらの記事も!↓)

(※杉山茂丸についてはこちらの記事も!↓)

さらに、wikipedia『台場 (福岡藩)』の項にも【福岡藩精煉所】のお話がありましたので、こちらも一部参照します。↓

防禦の目的をもって大砲を据え付けるための構造物を台場という。海岸や河岸の台地などに置かれることが多い。福岡城下に築造された台場のうち波奈・洲崎の台場は特に大規模だった

「波奈」の台場というのは「波戸」のこと!?それから「洲崎」は「須崎」のこと!?↓

続きます。説明書きの並びにはこんな年表も出ており、↓

弘化4年(1847年)中嶋町(現在の福岡市博多区中洲中島町)に精錬所を設置、反射炉を設ける。
12月5日 福岡藩主黒田長溥、博多金屋町釜屋平十方で大砲鋳造を見学。
嘉永元年(1848年) 砲術家福島兵蔵を長崎に派遣、西洋砲術を学ばせる。
嘉永6年(1853年)6月3日 ペリーが浦賀に来航する

つまり、波奈・洲崎の台場に設置された大砲というのは、この精煉所で鋳造されたものだということ!?で合ってます!?

もっと詳細な説明があるかもと、石碑の脇の説明書きをチェック。↓

挟まれたその脇をなんとか頑張って読もうとしたけれど、

堅い守りを突破することはついに出来なかったのである。

完。


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【福岡藩精煉所跡】

福岡市博多区中洲5丁目2