松崎団地、松香団地、舞松原団地に囲まれる【舞松原古墳】

書籍『福岡歴史がめ煮 東区/空閑龍二』を読んでいたところ、ちょっと気になるお話が。

どうやら、先日訪ねた「おいの山公園」そばに、古墳があるらしいんですよ!!その名も【舞松原古墳】。

とっても気になります。ああ早く訪ねてみたいよう。

というわけで、パラパラと雨降る子どもの日に、

朝もはよから香椎宮の鳥居前までやってきたのでした。こんにちは。

ではいざ出発!でもその前にぃ!?

【舞松原古墳】とはいったいどういった古墳なのか、書籍『福岡歴史がめ煮 東区/空閑龍二』より少し参照させていただきます。ありがとうございます。↓

舞松原4丁目に位置する小山が、正式な調査によって古墳跡と確認されました。この古墳の森は以前は千早付近から全景を遠望できましたが、再開発により今はちょっぴり隠れ気味

といった具合。ではあらためまして出発です。

すぐそばの信号を左へ進めば、先日訪ねた「おいの山公園」方面へと道は続きます。

今回は曲がらずに真っ直ぐ進みますよ。

すると右手に駅。

JR香椎線の香椎神宮駅。

この辺りで線路を越えて向こう側へ渡ります。

そこからしばらく続く坂道を上っていくと、

目の先に森の姿を確認。舞松原古墳。

小路の奥まで入っていくと、

そこに案内板が立っていましたので、すかさずチェック。

えちょっと待って。見てくださいよ、これ。↓

松崎団地、松香団地、舞松原団地。しまったああ。囲まれたあ。3つの団地に囲まれてしまっている!!これはサッカーでいうところの鳥かご。ひええ。

冗談はさておき。目の前の階段を上って、古墳の森へお邪魔することにしますね。

雨だから滑る滑るでもふんばる。

上った先を右へ進めば展望台があって、

そこから見る香椎の街がこちら。↓

また、先ほどの分岐点を左へ進めば、そこはこんもりである。

つまり古墳である。

そばに説明書きがありましたので、

大きな声で叫ぶように読んでみちゃおっかな。↓

舞松原古墳。四世紀終わりのころ(古墳時代)に造られたもので、当時この地域を治めた首長の墓と考えられます。大きさは円丘の径29.5m、全長約37m、高さ4.5m。上から見ると帆立貝の形をしています(造出をもつ円墳・帆立貝式古墳)

続きます。↓

埋葬は竪穴を堀り木棺を直接おさめる方法(木棺直葬)。大半は壊されていましたが、鉄の斧・鍬・鎌が出土。また、円丘の頂部で二重口縁壺も出土。古墳の裾には平安時代の土壙墓があり、青銅製の八稜鏡・青磁椀・土師器皿を副葬。この古墳は東区に残る数少ない首長墓の一つである

とのこと。古墳の図。真ん中に埋葬施設。↓

さらにそばにはこんな説明書きも並んであって、

まずこちらの板はこの森で見られる野鳥の種類。↓

ホオジロといえば、福岡市の野山の鳥に選ばれています。↓

説明書きを読んでみると、↓

全長16.5cm。全国で繁殖。冬になると北のものは南へ移動。やぶや林緑に生息。ほおがオスは黒色、メスは褐色。昆虫や草の実を食べます。鳴き声は「一筆啓上仕り候」と聞こえます

鳴き声!!一筆啓上といえば、自分の中で、↓

一筆啓上 風邪ひくな 親を泣かすな 友増やせ

なんだけど、誰の言葉だか思いだせなくて。ネットで調べても出てこないじゃん。怖い!!

それからこちらの説明書きは、この森で見られる樹木の数々。↓

おやヤマモモと言えば、

福岡市西区金武地区にて

金武のヤマモモを探してみたものの見つけることが出来ませんでしたYOね!!↓

あと、須恵町の街のシンボルが

ヤマモモでした。↓

それはさておき、舞松原古墳の頂部へ上ってみましょう。え上っていいのかな。上るべからずの札は見当たらず。怒られそ!?

ってことで、そおっと上ってみましたけど。どうです?帆立貝ってるかな?

頂部にはこんなプレートがかけられていました。どんぐり山!!ありがちネーミングナンバーワン!!

変に凝ってるよりもずいぶんいいですよ。ほっこりしました。サンキュー、どんぐり山。

 

ちなみに先ほどのお話にあった造出部は、この辺りのようです。平安時代の土壙墓があったという古墳の裾。

といったところで、そろそろ見学はおしまい。反対側にのびる階段を下って帰ることにします。

滑りがちな階段を下った先は、右へ進めば団地の広場の入り口で、

もう片方は小さな公園へとつながっていたのであった。

団地パワー!!

終わり。

【舞松原古墳】

福岡市東区舞松原4丁目9