奈良へ戻る彼らをここ日守まで見送りに【夷守駅】

前々回のこと。大伴旅人にまつわるお話として、以前に一度訪ねたことのある、

糟屋郡粕屋町仲原地区に鎮座する『日守神社』の記事を振り返ってみました。

その『日守神社』を訪ねる道すがらには『阿恵阿恵官衙遺跡』があって、そこは↓

飛鳥時代から奈良時代(7世紀後半から8世紀)にかけての『筑前国糟屋評[郡](かすやのこおり)』の役所跡とされる遺跡。

発掘調査の結果、ここには役所の中心施設である「政庁跡」、当時の税として集めた米を保管した「正倉跡」そして「古代の道路跡」が、良好な状態で発見されました

といった場所なんです。

はたまた『日守神社』境内に立つ説明書きにはこんなお話が記してありましたので、いまいちどここで参照してみると、↓

奈良時代聖武天皇の時代、九州には11の駅家(馬と人夫の宿)が置かれており、ここ「夷守ひなもり」にも駅は設置されていて、交通の拠点でした。

万葉集には、「草枕旅ゆく君を愛しみ 副いてぞ来し 志可の浜辺を」
という歌が詠まれており、その意味するところは↓

大伴旅人(大宰府長官)が病のときに、奈良にいる弟と姪が見舞いにやってきてくれました。病が治ったので、奈良へ戻る彼らをここ日守まで見送りにきました。そして別れの宴で詠んだ歌

どうです?お気づきになられましたか。そう、ここまでのお話の中であらわれたキーワードがこちら。→

「交通の拠点」「古代の道路跡」「夷守(日守)駅」それから「駅家」。どうですか、これらが指し示すモノ。

そう!『官道』のお話じゃん!?じゃん!?

 

そこで、以前にも参照させていただいた書籍『海路12号/九州の古代官道』を、ここで再読してみたいと思います。(参照させていただきます。ありがとうございます)↓

p6 中央集権体制をとる古代律令国家は中央と地方を緊密に結びつけるため官道を整備した。官道には駅家(うまや)間を連ねる駅路と郡家間を結ぶ伝路等があった

それから、↓

p11 夷守駅は粕屋町の内橋坪見遺跡に、久爾駅は福岡市の高畑遺跡に比定されるようになった

『夷守駅』といえば、つい先ほど出てきた、大友旅人が身内を見送りにやってきた駅家であり、その『夷守駅』に比定するのが「内橋坪見遺跡」であるとのこと。

内橋坪見だって。初耳です。いったいどんな場所だろう。さっそくネット検索で引っかかった「全国文化財総覧(内橋坪見遺跡)」から参照させていただくと、

糟屋郡衙(阿恵遺跡)とは1㎞の距離にある(内藤東2丁目)

とありました。(「内橋坪見遺跡」を訪ねたお話はまた後日に!)↓

それから、もう一つの駅家『久爾駅』についてのお話も確認しておきましょう。

 

以前官道東門ルートを辿った際、『久爾駅』は「板付遺跡「(板付6丁目)に比定するときいていましたので、

その時はそのまま「板付遺跡」を目指したわけですが、

今回の情報では「板付遺跡」ではなく、「高畑遺跡」(板付2丁目)に比定すると記してありました。え?そこでさっそく「高畑遺跡」について調べてみると、↓

どうやら、警察学校の敷地もしくはその界隈辺りが「高畑遺跡」つまり『久爾駅』を指すっぽいんです。板付遺跡からは近からず遠からず!?の場所。↓

2丁目と6丁目だったら誤差のうち!?そんなことないか。

『久爾駅』の詳細につきましては、また分かり次第、緊急でご報告したいです。

ここでは暫定的におおよそ板付界隈に『久爾駅』があったということで、話をすすめます。

では再び書籍『海路12号』に戻りましょう。まず古代官道についてこんなお話があって、↓

p107 七世紀に始まる律令国家の全国事業「古代官道」は延長6300キロ、道幅12メートル、平野部は直線道路。その拠点は都とならんで大宰府・鴻臚館だった

その『古代官道』には東門ルート西門ルートとは別に、「東西横断ルート」とされるものもあったらしく、その道筋というのはこんな具合。↓

p111 大宰府路・東西横断ルート『博多住吉神社⇔美野駅(現博多駅)⇔日守神社≒(夷守駅)』

福岡を左右に横断する古代道路。それから「夷守駅」についてはこんな解説もありました。↓

p82 東部多々良川河口付近は入江状の内海を形成、この内海に近接する場所を、大宰府と都を結ぶ官道が通過しており、夷守駅もこの沿道に推定。夷守駅の可能性が考えられる内橋坪見遺跡と糟屋郡家とみられる阿恵官衙遺跡

この「阿恵官衙遺跡」については、以前『糟屋町立図書館』にてパネル展を見たお話をしたことがあって、↓

当該記事内からいくつか資料を再確認しておきますと、↓

「郡が集まって国というまとまりがつくられます。国の役所は国府。九州には西海道などの国々を治めていた大宰府という役所がありました」

「大宰府政庁跡は奈良や京都に次ぐ地方官衙(役所)でした」

「阿恵官衙遺跡は古代道路が交差するT字に位置。古代の役所は交通の利便性の良い場所に立地」

といったところで、今回のお話はおしまいです。話題があっちへいったりこっちへいったりでまとまらず恐縮ですが、

 

結局なにが言いたかったのかというと、こういうことなんです。↓

先日訪ねた東門西門ルートの「官道」の話題と、それからまた別の日にお話した「大伴旅人」にまつわるお話。この2つのストーリーが今回見事にマリアージュして、

その結果、大伴旅人が見送りにやってきたという官道沿道の夷守駅へ辿り着くことになりました。これって運命感じるぅ

ご清聴ありがとうございました。


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【日守神社】

福岡県糟屋郡粕屋町仲原2895