ゼロではないだろうしハチはなに【津古八龍神社】
ふと、前から気になっていた【九州歴史資料館】を訪ねてみようと思い立ち↓
つい先日にもやってきた筑紫野市へ再び舞い戻り、さらに小郡市まで向かう私です。どうもこんにちは。
福岡方面から久留米方面へと南下し、西鉄電車の線路沿いをブラブラ進んでいると↓
小道の先になにやら石碑が立っていて↓
そばに説明書きがありましたので↓
読んでみると、こんな具合。↓
稲次因幡正誠蟄居の跡。稲次因幡正誠は久留米に生まれました。有馬家の家老職に就きました。久留米藩主有馬家は見栄をはりがちで出費が多く、その結果農民が苦しんでいました。
続きます。↓
最終的に農民一揆が発生。それに対して正誠は農民をなだめ一揆を鎮めたのでした。
だがしかし↓
藩主との関係は悪くなり、家老職を解かれ病に冒され死んでしまいました。
農民はどう反応したかというと↓
徳を偲び、五穀神社(久留米)に農民の神として祀ったのでした。
とのこと。大きな石碑の他にも、いくつか石碑が立っていました。↓
そのすぐ隣には神社の境内が見えますね。↓
せっかくですので、ちょっとお邪魔してみましょう。
正面までぐるりと廻ってきて↓
すぐのところに、日露戦争と日独戦争の慰霊碑。↓
きけんである。↓
鳥居の扁額。↓
それでは境内へお邪魔します。↓
埴安神。↓
観音堂。↓
境内は広くて静かできれい。↓
どもども。↓
どもどもども。↓
遊具があったり↓
ベンチがあったり。↓
手水舎。↓
縁起書きがありましたので↓
読んでみたいと思います。↓
ご祭神は「彦火火出見尊」「豊玉姫」。創建は約710年前の嘉元2年。「彦火々出見尊」は天照大神三代天孫邇々芸命(ニニギノミコト)の子どもで別名山幸彦とも云い、神武天皇の祖父に当たる。妻の「豊玉姫」は海神の姫君。
続きます。↓
「穂々出見尊」の名の由来は、稲穂が多く重なる様を表し「山幸彦」も五穀の豊穣を表している。
【八龍神社】の社名は祭神「豊玉姫」が龍神であり、龍神を「八大龍王」と云う事から略して【八龍神社】となったもの。創建以来村人の厚い信仰を集め現在に至っている。
そうこちらに鎮座するは【津古八龍神社】。八というのはどういうことなんだろう。
「素戔嗚尊」。↓
「日本武尊」。↓
拝殿。↓
本殿。↓
ちなみに、境内のすぐそばには西鉄津古駅のホームがあって↓
ここ一帯はなんだか良い雰囲気なんです。↓
もしもこんな駅で通学出来ていたなら。そしたら私の学生時代はきっとバラ色。
ということもないだろうけど↓
私はただ、可能性の話しをしているのである。完。↓
続きはこちら(→三つの国境の丘陵で三国ヶ丘【九州歴史資料館01/02】)
【津古八龍神社】
福岡県小郡市津古1372-1