久留米城の築城法は平山多聞造りだ【久留米03】
前回のつづきです。
西鉄久留米駅からずいぶん道に迷いつつも、なんとかJR久留米駅まで辿り着きました。
今回はいざ!お待ちかねの久留米城を目指したいと思います。楽しみ。
久留米駅前通りを先へ進むと、そこからはブリヂストン通りという閑静な一帯に入っていきます。
まあブリヂストンっていうくらいだから、久留米が誇る世界的大企業ブリヂストンの会社もしくは工場がある筈です。
それはいいんだけど、ブリヂストン通りはやたら長くてもうくたくた。まじ勘弁とか言ってたら、
通りの途中に説明書きがありましたので、
読んでみるとこうありました。↓
ブリヂストンタイヤ株式会社創立25周年の一環として1200mの道路を造成。これブリヂストン通り。創業者石橋正二郎は久留米市生まれ。自動車タイヤ国産化に成功。日本のゴム工業の発展と技術革新に尽力
とのこと。そのままさらにしばらく歩いていくと、
通りの隅に碑が立っており、久留米城三ノ丸跡と記してある。
さらに脇のところに説明書きがありましたので↓
読んでみると、↓
濠で囲まれた方形の郭で、御蔵屋敷、御蔵番屋敷と、五名の家老屋敷が置かれていた
とのこと。この角から通りを左へ曲がります。
そこからあとは一直線。ここはもう城内ってことでしょう。
途中にあるこちらの碑は『縣社 篠山神社』。
通りの右手には、久留米城二ノ丸跡の碑を確認。↓
脇に記された文字を読んでみると、↓
久留米城二ノ丸跡。四方を濠で囲まれた台形状の郭で、藩主が生活した二ノ丸御殿があった
とありました。ずずっと奥まで歩くと、↓
その先に見えるのが久留米城冠木御門跡。
手前にある城下町復元図を確認してから、↓
ちょっと振り返ってみる。向こうが二ノ丸三ノ丸です。↓
ではさっそく橋を渡りましょう。
お城って美しい。↓
渡り終えてすぐのところに、↓
説明の碑があって、↓
読んでみると、
冠木御門跡。久留米城は南が正面となっており、土橋を渡るとこの入り口に冠木御門があり、その内側が枡形になっている
とのこと。本丸入り口が枡形になっていると。その隣りには第五十六連隊慰霊碑。↓
では先へ進みます。↓
久留米城本丸跡の碑。↓
そばに久留米城についての説明書きがありましたので、↓
読んでみます。↓
戦国時代よりこの古城をめぐって興亡の歴史をつづる。元和七年、有馬豊氏丹波福知山より転封入城。十一代二百五十余年の間、有馬家居城として藩府が置かれていました
続きます。↓
北西に筑後川を自然の濠とする。築城法は平山多聞造り。高い白土の城壁の上に聳え立つ二層と三層の七つの櫓があり、本丸東南隅の三層建ての巽櫓は壮大な偉容を誇っていました
もう少し続きます。↓
現在、石垣だけが残る。城内には有馬三氏を祀る篠山神社や有馬記念館
また、書籍『古地図で歩く福岡/月刊はかた編集室』にも久留米城のお話がありましたので、
参照させていただくと(ありがとうございます)、↓
この場所に本格的な城郭ができたのは中世。のち豊臣秀吉九州平定後、毛利秀包が居城とした。毛利は関ヶ原で西軍につき、久留米城は筑後国主となった田中吉政が柳川の支城にした
続きます。↓
のち、田中家が断絶、有馬家が藩主として入城
とのこと。といったところで、今回はそろそろおひらきです。↓
お話の続きはまた次回に。↓
よろしくお願いします。
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【久留米城】
福岡県久留米市篠山町444