幸神社のご利益で今年の私は幸せいっぱい【橋本八幡宮】

祝2022年。明けましておめでとうございます。

もちろんめでたいんですけど、今年も残念ながらまだまだ落ち着かないご時世です。

そんな現下の社会情勢を鑑みて、年始は静かな初詣といきたいところ。こんにちは。

 

というわけで今回初詣に訪れたのは、福岡市西区の橋本地区に鎮座する【橋本八幡宮】。↓

福岡方面から福岡外環状道路を西へ進み↓

野芥の交差点を過ぎて↓

もう少し進んだところには↓

室見川がゆうゆうと流れています。とってもいい感じ。↓

その室見川に架かる「外環室見橋」には↓

案内板プレートが貼ってあって↓

さっそく読んでみるとこうありました。↓

福岡市の西区と早良区の境をなす室見川(長さ約15キロ)。古くは「早良川」と呼ばれていたけど、いつのころか上流の旧小田部村辺りに室見大明神が祭られていたことから、小田部から下流を「室見川」と呼ぶようになりました

また↓

室見川を上流にさかのぼると、飯盛山(標高384m)が見えてきます。神名備(神)の山。頂上にはかつて上宮があり、この一帯から300枚近くの瓦経が出土しました。飯盛山は九州最大の経塚遺跡です

そして↓

「飯盛神社」には古代の農耕儀礼の姿を今に伝える「粥占い」や、秋には流鏑馬が奉納されます

とのこと。(※飯盛神社を訪ねたお話はこちらで!↓)

では先へ進みます。↓

大通り向かいの奥にはショッピングモール「木の葉モール」が聳え立ち↓

その手前の橋の脇から、川沿いを下っていきます。↓

しばらく北へ進むと↓

【橋本八幡宮】と書かれた大きな案内が出ており↓

その裏側には【須賀神社】とも書かれています。えなに!?↓

ここを左へ曲がると参道がのびていて↓

その先に【橋本八幡宮】が鎮座しているといった具合。↓

それでは、鳥居をくぐって境内へ。↓

石碑の後ろには小川がさらさら流れているよ。↓

さらに奥には「木の葉モール」を確認することが出来ます。↓

シンと静かな境内。↓

由来書きがありましたので↓

読んでみます。↓

ご祭神は「応神天皇」「神功皇后」「玉依姫命」「阿弥陀如来」「観世音菩薩」「勢至菩薩」。今から500年前の文明14年(1482)に柴田蔵人佐繁信父子によって初めて建立されました

そして↓

350年前の頃、境内の北側辺りに黒田藩主の別荘茶屋がありました。黒田藩三代の光之は橋本の人を母として生まれ、幼少期をこの地で過ごしました。そのため今でもこの地を「お茶屋のうち」と呼びます

また↓

殿さまの御成り所(休憩所)ができ、それから年貢取り立ての代官所と蔵が出来、そこを蔵元屋敷といっていました。光之公は産土神として八幡宮を崇敬し寛文6年に西新町紅葉松原に社殿を建てて遷宮。橋本の人たちもここから遥拝していたけれど、のちに社殿を再建したのでした

とのこと。ちなみにここ橋本の地から遷宮された『紅葉八幡宮』は、まず西新の地へ。↓

そののち、北筑軌道が境内を横切ることになったため、今度は早良区高取へと遷宮され、↓

現在にいたる、ということみたい。

ではここで境内の案内絵図をチェックしておきます。↓

振り返ってみるとこんな景色。↓

由来書きそばには『幸神社』と↓

『松川原神社』が鎮座。↓

手水舎。↓

そしてその先に【橋本神社】の社殿が。↓

あら狛犬!少し縦長!?気のせい!?↓

拝殿内をちょっと失礼します。↓

そして本殿。↓

社殿そばに、また別の出入り口がありましたので、こちらからぐるっと境内を廻ってみることにしましょう。↓

橋本地区というのは古来から農村だったんだよと記してある。↓

出入り口の正面はこんな具合で、↓

そのまま境内に沿って歩いていると↓

【橋本八幡宮】のちょうど裏手にあたるところに、別の神社が鎮座。↓

こちらは、さきほどの案内にもあった【須賀神社】のようです。

さっそく参拝するわけですが!?続きは次回のお話です。お願いします。↓


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【橋本八幡宮】

福岡市西区橋本2丁目29