人は地獄というけれど【東長寺】
ちょっと前のことなんですけど、福岡市博多区の御供所町にある【東長寺】を訪ねたので、そのお話です。↓
博多区の大博通り沿いに見える
こちらの立派な山門がとにかく目を引きます。↓
通りの反対側には
『竜宮寺』(↑)があって↓
そちらの方から【東長寺】を見てみるとこんな感じ。↓
また、大博通りから一歩奥に入った通りは『御供所通り』といって、そこは【東長寺】の裏手にあたり↓
その『御供所通り』というのは
『聖福寺』や『妙楽寺』(↑)などがたち並ぶ『寺町界隈』。↓
今回訪ねる【東長寺】は、「福岡大仏」そして「地獄(戒壇)巡り」で良く知られており↓
ちなみに私は数年前に一度【東長寺】を訪ねたことがあって、その時にどちらもすでに経験済ですけど、今回も存分に満喫したいと思います。↓
まず山門そばに案内板がありましたので↓
読んでみるとこんな具合。↓
寺伝によれば大同元年(806)、唐から帰国した空海の創建とされます。兵火により一時荒廃しますが、福岡藩2代藩主黒田忠之により再興。境内には堂内扉に仙厓和尚の他、当時の文人の書画が刻まれた六角堂(天保13年建立)があります。また福岡藩主の墓所もあります
そして↓
本尊の木造千手観音立像は国の重要文化財。平成4年(1992)には、木造座像としては国内最大級の『福岡大仏』が建立されました
また、ここ【東長寺】は福岡藩主黒田家の菩提寺でもあるのだそうです。↓
山門隣りにたつ石碑には「弘法大使開基 密教東漸日本最初霊場」と刻まれていて
これは↓
唐で学び帰国した空海(弘法大使)が、日本で最初に開いた密教寺院【東長寺】
というふうなことを意味しているらしい。
おやおや?石碑の下のこれはなんですか。亀?きゃめ?↓
山門をくぐって境内へ。『南岳山』の扁額。↓
ちらっ。↓
ちらちらっ。↓
のんびり静かな空気が流れています。↓
福岡大仏の案内を発見。あとで再訪問しますね。↓
まず左奥へ進んでみます。こちらが案内板にあった『六角堂』で↓
そばの説明書きを読むと↓
こうありました。↓
博多の商人豊後屋栄蔵は、浄財を募り堂宮大工伊藤平左エ門を招いて施工しました。礼拝しやすいように正面を広くしている変形の形、内部には六体の仏像が安置されています
こちらは本堂。↓
ちょっと失礼して。↓
お地蔵様。↓
五重塔はきらきらしていてまぶいわあ。↓
「五重塔概要」。↓
さらに奥には、福岡藩藩主のお墓が並んでおり↓
案内板にはこう記してありました。
【東長寺】は空海が博多の海辺に建立した密教寺院。志摩群志登村に一時移ったあと、現在地に移転
そして↓
忠之の墓前には殉死した5名の墓碑である五輪塔。長政はじめ他藩主の墓所は、博多区千代の崇福寺北そして東京
とのこと。↓
左から2代目忠之の墓と五輪塔。↓
真ん中は3代目光之の墓で↓
そして右が8代目治高の墓。↓
それではそろそろ大仏を拝みに、庫裏の2階へ向かうことにしましょう。
再度のご対面です。ご対面の後には「地獄めぐり a.k.a 戒壇巡り」もあるよ。↓
拝観料は50円、撮影は禁止。
2階に上がると、いきなり大仏がチラ見え。高さ10.8メートル、重さ30トン。
こういう表情をしているなんて気付きませんでした。ほら、なにせデカいから。↓
地獄巡りモトイ『戒壇巡り』のほうへ。これは確かに地獄ですよ!!真っ暗闇の部屋をを手すりのみで歩くんです。ああ怖い恐ろしい。
でも2度目ともなれば地獄も安心。↓
そこそこのほどよい地獄加減でした。
しかも地獄のあとは極楽だから。これ、緩急なり。
【東長寺】
福岡市博多区御供所町2-4