ういろうは食べる機会が少なくなくない【妙楽寺】
福岡市博多区の御供所町にある【妙楽寺】を訪ねました。
というのもつい先日、博多区にある『神屋宋湛屋敷跡』(↓)を訪ねた際に
博多の豪商「神屋宋湛」のお墓が【妙楽寺】にあると聞いて気になっていたんです。↓
ではさっそく向かいます。【妙楽寺】がある博多区御供所町は『聖福寺』を中心とした旧寺町。
大博通りから通りを一歩入った「御供所通り」沿いの↓
『聖福寺』山門からほんのすぐのところに、【妙楽寺】の山門がありました。↓
臨済宗【石城山妙楽禅寺】。↓
山門前の案内板を読んでみますね。↓
正和5年(1316)、博多湾岸の沖の浜に創建されました。遣明使が宿泊するなど重要な外交施設でもありました。その後戦乱によって荒廃しました。
慶長5年(1600)福岡藩主黒田長政の入国後、寺はこの地に移されました。博多の豪商「神屋宋湛」の墓が残ります
とのこと。
(※「沖の浜」のお話はこちらも是非!↑)
では境内へお邪魔します。↓
入ってすぐのところに『唐石石門』があって↓
『開山堂』。こちらには【妙楽寺】を創建した「月堂宗規和尚」が祀られていて↓
また、江戸時代の医者「鷹取養巴」や
密貿易を行ったため処刑された博多の豪商「伊藤小左衛門夫妻」(↑)のお墓もありました。↓
境内図。↓
さらに先へ進むと墓地が広がっていて↓
そこには黒田藩のお墓とともに
「神屋宗湛」(↑)のお墓も。
本堂そばには鐘楼が建っていて↓
本堂の隣には『ういろう伝来の地』の石碑。うい、ういろう?久しぶりに聞きました。口ずさみたくなる語感。ウィっていう。↓
さてところで。この地にどんなウィロー伝説があるのでしょうか。ネットで調べてみましたので聞いてください。↓
中国の元にて「礼部院外郎」という役職についていた陳延祐という医者が亡命して、【妙楽寺】へやってきました。彼は「陳外郎」と名乗り透頂香なる薬を作っていました
将軍足利義満に献上し話題になったりしたそうで、のちにその秘伝を受け継いだ子孫が「外郎(ういろう)」として売り出したのでした
ちなみにこの由来には諸説色々あるのだそうです。よろしくお願いします。
ウィローウィローと語感に任せて言ってますけど、私はウィローの味が思い出せないのであった。完。
【妙楽寺】
福岡市博多区御供所町13-6