なまず曰く、川きれいにしてくんない【賀茂神社2/2】

前回の続きです。↓

前回、ふとしたきっかけで福岡市早良区に鎮座する【賀茂神社】を訪ね、そして↓

賀茂地区の歴史と鯰にまつわる伝説を、しかと叩き込まれたのでした。こんにちは。

今回はといいますと、神社すぐそばを流れる金屑川辺りをぶらぶら歩いてみようと思います。

というのも、お話の中の鯰はこの金屑川にいたそうですから。ご挨拶は欠かせません。これ人間関係の基本。あ鯰か。

そんなわけで、さっそく境内を出て↓

【賀茂神社】前の横断歩道を渡り、それから↓

少し先へ進むと、そこには「なまず橋」が架かっており、

その橋の下をたゆたゆと流れるのは、もちろん金屑川。↓

橋のそばには、小粋な憩いのスペースが設けてありましたので、↓

ちょっと寄らしてもらいましたよ。

 

ほら向こうに見えるのが【賀茂神社】。↓

ではさっそく鯰にご挨拶です。

憩いのスペース(なまず広場)内に説明書きが掲示してありましたので↓

まずは読んでみることにします。↓

享保17から18年に、西日本一帯を大飢饉が襲いました。人々は神の祟りだと恐れ、「氏神さまの親神さまに災難防止の祈願に行こう」と京都の賀茂御祖神社へ行きました

続きます。↓

すると神主さんが「神社の使いはなまずです。近くの川でへ行き、なまずを呼び出し尋ねるが良い」と

それから2日後のこと。↓

一人の夢枕になまずがあらわれ「自分を信じて頑張って!!なまずを殺生したり捕食したりは許されない。あと川をきれいにして!!」とのお告げがありました

これが賀茂神社の鯰伝説。(※享保の大飢饉についてはこちらのお話も!↓)

またここ賀茂の地の歴史について、こちらに説明書きがありました。それはこんな具合。↓

免(旧名)の賀茂神社の建立時期は1200年以前で、荘園時代(884年)の頃から、年貢は京都の賀茂御祖神社に納められました。年貢の見返りに御分霊を授かりました

そういうわけで↓

地区の者は大変喜び、旧大字免字深町に社を建てて座石を祭り、免村の氏神様として崇めてきました。1670年の耕地整理により遷座。現在に至る

とのこと。

 

さらにこんなユニークな写真も。↓(ラインは私がつけました)

つまりこれと↓

これが髭のようですよと。↓

そこからさらに川に沿って歩いてみると↓

ナマズのイラスト付き由緒書きを発見!!↓

読んでみると↓

当社は京都賀茂神社の分霊社。昔から、身体に白い斑点の出るナマズの平癒祈願の神様として遠近よりの参拝者多し

とありました。これにて【賀茂神社】の参拝はおしまいです。

お疲れ様でした。


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【賀茂神社】

福岡市早良区賀茂1丁目29