ダンスナンバーで踊り続けやう【新柳町遊郭跡】
先日のことです。
ちょっと掃除でもしちゃおっかな!?とか言って部屋の大きな荷物を動かしてみたら、目の前にえ待って!?夏目漱石じゃん!?もうびっくり。
なんのことかといいますと、荷物を動かした跡のスペースに千円札が一枚寂しげに落ちていたんですよ!!!こんにちは。
経年のヨゴレで茶色くなった悲しい漱石の姿。はっきりいって汚い。これって紙幣として普通に使えるの?大丈夫そ?
気になって仕方がありません。そこで薄汚れた紙幣を持ってオシャレなTシャツを買おうとしてみるも、レジを通らず。Tシャツはまたの機会に。
こうなったら仕方ありません。いざ紙幣交換に向かわん!と、今度は郵便局へ向かってみることにしたんです。
だがしかし!
郵便局では紙幣の交換は行っておらぬ、でもねそのままの足で銀行へ向えば、あなたの希望は叶うかもしれない
とかそんな内容のことを、優しく丁寧に教えていただきました。なるほど銀行かあ。
あれそういえば。
以前、紙幣が入っているとは知らず、びりびりに破いた封筒から出てきたびりびりの千円札を、
天神にある日本銀行で交換したことを思い出しました。
ぴかーん。閃いた。
そこでさっそく日本銀行まで行ってみたら、無事に交換することが出来ました。やったー。完。
さて。お話の本題はここからです。紙幣の交換へと向かう道中のこと。
福岡市中央区の住吉地区を駆け抜けていたその瞬間、ふと新柳町のことが頭によぎったのであった。
以前、福岡市博多区の下呉服町界隈へ『柳町遊郭』跡を訪ねた際、
清川地区についてこんなお話を聞いていたり、↓
『柳町遊郭』は1909年に帝国大学誘致によって立ち退きを命じられ、1911年に『新柳町遊郭』として福岡市中央区清川地区へと移転
はたまた、柳町遊郭に伝わる『梯の暖簾』を調べてみた時には、↓
書籍『遊郭をみる/下川耿史 林宏樹』の中に『新柳町遊郭』に纏わるお話を見つけたり。
一部参照させていただきます。ありがとうございます。↓
新柳町遊郭の営業開始は1911年。柳町の42軒のうち30軒が移転。草原だった東中洲を埋め立てて妓楼を新築。昭和初期のダンスの大流行によりダンスホールに改築する店もあった
続きます。↓
福岡ではダンスホールの設置が禁止され、公然とダンスできるのは遊郭のみであった
とのこと。また、ダンスホールに関しては、こんな書籍(遊郭・花柳界・ダンスホール・カフェーの近代史/小針侑起)を読んでみましたので、
こちらも一部参照させていただきます。ありがとうございます。↓
日本で初めてのダンスホールは、神奈川花月園舞踏場。モダンガールがダンサーとして勤務した。戦時の贅沢品排除に伴って廃れることに
だそうです。でね、でさ。今清川地区のそばの住吉地区にいるじゃんか。だから清川方面へと向かってみたいと思います。
この角を右へ曲がると、
ちょっと先に川が見えている。↓
下に流れるのは那珂川で、
那珂川に架かるのはきよすみ橋。↓
清川と住吉を結ぶからきよすみ!?
橋から眺めて向こうが天神方面で、
こっちが二日市方面。
川沿いは現在、マンションがずらーっと立ち並んでいます。↓
橋を渡って清川地区へ。
あの信号を交差して延びる道路は『旧新柳町遊郭通り』というんだそうで、
交差点をつっきって、さらに真っ直ぐ進めば、ほら。↓
清川地区のランドマークである『清川ロータリー』へと辿り着きました。↓
この辺りに遊郭の大門があったとかいうお話をちらっと聞いたんですが!?詳細については
また分かり次第お届けしたいです。
そんな『新柳町遊郭』、1958年の売春防止法施行によりその歴史に幕を閉じたのであった。
終わり。
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【旧新柳町遊郭通り】
福岡市中央区清川1丁目1