シーボルトがやってきたヤヤヤー【原田宿】

前回の続きです。↓

前回はといいますと、福岡県筑紫野市の原田に鎮座する『筑紫神社』をあとにして、↓

その流れのままに、鳥居前から続く【原田宿】を駆け抜けようとしていたのでした。こんにちは。↓

それでは今回も続きます。かつて長崎街道を行き交う旅人は、その道中に『筑紫神社』へ寄ったとききました。↓

そして参拝を終えると再び旅路につくわけですが、その旅路は【原田宿】へと続くわけです。↓

その【原田宿】というのは説明書きによりますと、↓

筑後国・肥前国と接した国境の宿場。西構口の横には関番所が置かれていました

とあって↓

駅前の写真図で見てみるとこう!?

それを絵図で見てみるとこう!?

さらにこちらの絵図ではこう!?どうでしょう!?

鳥居からのびる【原田宿】の通り沿いには、色々と説明書きが立っています。そこで↓

この、かつて旅人が行き交った通りを、旅人気分で読み歩いて行くことにしますね。↓

「はらふと餅屋」。ナイスネーミング?安直?↓

読んでみるとこんな具合。↓

【原田宿】の東構口付近にあった「はらふと餅」を売る店。険しい三国坂や冷水峠を越えるためここで腹ごしらえをしたそうです

どうやらこの辺りが東構口ということみたい。「構口」というのは、宿場の出入り口の意。

 

さらに通りを進むと↓

再び説明書きを発見!↓

さっそく読んでみたいと思います。↓

【原田宿】には多くの人々が行き交いました。日本最初の銅版画を制作した司馬江漢。狂歌作者の大田南畝。吉田松陰や伊能忠敬、そしてシーボルトなどのオランダ使節などです

通りに面するのは、先ほどの絵図にも出てきた『伯東寺』で↓

そばにまたまた説明書き。↓

読んでみるとこうありました↓

【原田宿】の起りは不詳ですが、1638年に天草一揆の鎮圧に向かう松平信綱の軍勢が原田に宿泊した記録があります

通りの少し先には石碑があって↓

碑には『筑前六宿 原田宿場跡』と刻まれていました。↓

ちなみに振り返ってみるとこんな景色。↓

(※のちにあらためて長崎街道を訪ねたお話はこちらで!↓)

そんなこんなで【原田宿】の散策はここでいったん終了です。つまり、いにしえの旅人たちともここでお別れ。そしてそのまま、↓

くいっくいっと通りのコーナーを攻めつつ、『JR原田駅』へと向かいます。↓

そして駅併設のコミュニティホールに入って、電車の到着を待ちつつ、↓

ああ粥占の粥はこういうものなのか!と真剣な眼差しで頷いていたのだった。↓

これにて、筑紫野市原田地区の大冒険はおしまいです。↓

おつきあいいただきありがとうございました。


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【JR原田駅】

福岡県筑紫野市原田