鬼の頭に角がないっ【雑司ヶ谷鬼子母神堂01】

前回、『リトルウッドの法則』つながりで、東京都豊島区に鎮座する【雑司ヶ谷鬼子母神堂】(↓)のお話が出てきました。

今回はその【雑司ヶ谷鬼子母神】を訪ねたお話をしたいです。こんにちは。

ちなみに、私はこちら【雑司ヶ谷鬼子母神】についてなんの知識もないんです。強いて言えば、昔映画の一場面で見ただけ。そこで↓

【雑司ヶ谷鬼子母神堂】HPより、由来をざっと参照させていただきながら、境内を散策したいと思います。↓

鬼子母神(きしもじん)のご尊像は、永禄4年、山村丹右衛門が清土(文京区目白台)の地より掘りだし、星の井(清土鬼子母神境内にある三角井戸)でお像を清め、東陽坊という寺に納めたもの。東陽坊の一僧侶がひそかにご尊像を自身の故郷に持ち帰ったところ、たちまち病気になったので、再び東陽坊に戻したとされています。安土桃山時代、『稲荷の森』と呼ばれていた当地に、村の人々が堂宇を建て今日に至る

きしぼじんでなく、きしもじんと読むそう。で、その『鬼子母神』とはいったいなんぞ!?↓

その昔、鬼子母神はインドで訶梨帝母とよばれ、王舎城の夜叉神の娘で、嫁して多くの子供を産みました。性質は暴虐この上なく、近隣の幼児をとって食べるので、人々から恐れ憎まれました。
お釈迦様は、末の子を隠してしまいました。訶梨帝母の嘆き悲しむ様は限りなく、お釈迦様は、
「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めました。
訶梨帝母は過ちを悟り、安産・子育の神となることを誓ったとされています

鬼子母神については、以前に太宰府市に訪ねた『オカッテンサン』でもお話がありました。↓

さて参照はもう少し続きます。↓

当山の鬼子母神像は、鬼形ではなく美しいお姿。角(つの)のつかない鬼の字を用い 「雑司ケ谷鬼子母神」と尊称しております

とのこと。明治通りから少し路地を入って進んでいくと

ひんやり静かな境内が広がっています。

ちなみに、こちらはどうやら裏側のようです。仕方ありませんので、その順番で見ていきます。よろしくどうぞ。

さて境内入ってすぐに鎮座するのは『北辰妙見神社』。妙見堂。神社です。

振り返るとこんな景色。↓

これは歌碑!?

そして鬼子母神像である。↓

【雑司ヶ谷鬼子母神堂】本堂。「拝殿」「相の間」「本殿」の堂宇。『権現造り』の神社建築。↓

子育てと安産の神様を祀るお寺であり、法明寺の境外仏堂。1644年建立。

先述通り!たしかに!鬼の頭に点(角)がない!言われないと気付きません!↓

桶だらけ!?↓

そばに説明書きがありましたので↓

補足的に読んでみます。↓

寛永2年に社殿の造営が始まり、正保3年に宮殿が寄進。本殿の開堂供養は寛文6年。広島藩2代目藩主浅野光晟の正室満姫の寄進により建てられ、広島から呼び寄せた大工が従事。梁や組物の彫刻には広島地方の寺社に用いられる建築様式が見られる

とのこと。

 

さてお話はもう少し長くなりそうです。続きはまた次回に。


【雑司ヶ谷鬼子母神堂】

東京都豊島区雑司が谷3丁目15-20

HP:雑司ヶ谷鬼子母神堂