時代は違ってもいつも同じ場所で【赤坂門/福岡城04】
前回の続きです。↓
前回はといいますと、福岡城内を北から南へと駆け抜けて、そして『追い廻し門』跡付近でなんとなくダラダラしていたのでした。
今回はがらっと場所を変えて、明治通りと大正通りが交差する赤坂の交差点から、あらためて福岡城散策をスタートしたいと思います。↓
赤坂の交差点を左へ曲がって、福岡城がある西へと進み↓
地下鉄赤坂駅を通り過ぎても、さらにそのまま真っ直ぐ行くと↓
お濠の前の遊歩道がのびている。遊歩道沿いには『福岡城跡堀石垣』(↓)があって
こちらはつい先日訪ねたばかりです。↓
今回は遊歩道に入る手前の曲がり角で、左へと曲がります。曲がりたい。↓
通りを曲がってちょっとだけ入ったところで↓
再び左へ曲がります。↓
すると、通りの右手には九州電力の変電所があって↓
変電所の壁に、案内板が貼ってあるのをあなたはご存じでしょうか。↓
とにかく読んでみたいと思います。↓
ここは赤坂門跡。遺跡有無の調査をした結果、大正末に埋め立てられた福岡城の石垣が江戸時代のままの姿で現れました
昔の地図で照らし合わせてみると、多分こんな風になっていて↓
この辺りに門があって↓
ここから天神辺りまで?
ずっとお堀が続いていたということ!?っぽいです。↓
では、さきほどの通りへ再び戻り、今度はその先へと進んでみます。↓
すると右手に江戸風看板みたいな小粋な感じなやつが立っていて
ふーんオシャレ雑貨のお店?とか思っていたら↓
そばの石碑に『舞鶴公園東口 福岡城跡』と刻まれていたのであった。↓
今回はこちら「公園東口」を通って「福岡城」の城内へと侵入してみたいと思います。↓
地図で見ればこんな感じ。↓
左手には「福岡市立中央体育館」があって↓
その体育館裏の小道を抜けていくという具合になっています。↓
ちょっと歩けば、あっという間にお城の敷地へ到着。向こうに見える建物は『鴻臚館跡展示館』。のちほど訪ねますよ。↓
おや?このフェンスの後ろはなんですか。原っぱのような広場のような?↓
フェンスの網に説明書きが貼ってあったので読んでみると↓
どうやらここには、昭和24年に建設されたという「平和台球場」があったのだけれど、1994年に「鴻臚館」発掘調査のため閉鎖になったよとのこと。(説明書きの写真を参照しています)↓
写真で見てみると、想像以上に「ザ野球場」って感じです。(説明書きの写真を参照しています)↓
写真の中に「福岡城」の姿が見えていない?のが、ちょっと残念。
ちなみに、今の景色はこんな感じで、今もやっぱりお城は見えないみたい。↓
それでは、広場をぐるりと廻ってみます。反時計まわりで行きますね。↓
ちょっと歩くと案内板を発見。↓
読んでみるとこんな記述がありました。↓
鴻臚館跡(筑紫館)は、古代(飛鳥・奈良・平安時代)の迎賓館に相当し、日本の3ヶ所に設けられました。遺跡の存在が確認されたのは、筑紫の鴻臚館のみ
そして↓
これまでの発掘調査によると、鴻臚館は周囲より4mほど高い台地の上に造られ、中央の濠を挟んで南北に2つの建物があり、何度か建て替えられ、南北を行き来する橋が架けられていました。遺構は地下に保存されています
こちらの図と↓
こちらの図を参考にすると↓
こんな風だと思うんだけど、どうでしょうか?↓
今回はここでいったんお開き。次回は『鴻臚館跡展示館』を訪ねるかも!?の巻。
よろしくどうぞ。↓
【赤坂門/福岡城04】
福岡市中央区赤坂1丁目8