佐野近世を知ったあなたが言いたいこと【濡衣塚】

福岡市博多区の千代地区を流れる御笠川の、その川に架かる『石堂橋』を↓

博多方面へ渡ると

渡ったすぐのところに、夢野久作のお墓がある『一行寺』があって、↓

また、『石堂橋』そばの電柱に張り付けてある歴史豆知識を読んでみると、

 

かつて高杉晋作は柳町へ向かうためにこの『石堂橋』を渡っていたのだそうです。↓

その『石堂橋』を反対側の千代方面へ渡って少し進むと↓

そこには以前訪れたことのある『石堂地蔵尊』(↑)の姿が。↓

そんな『石堂橋』のほとり。国道3号線沿いの一角に、石碑というか塚がある。↓

こちらが今回の目的地【濡衣塚】です。

ここ【濡衣塚】は、「冤罪」等の場面で使われる「ぬれぎぬを着せる」というフレーズの由来となった場所で↓

その「ぬれぎぬ」にまつわるお話は、今から1200年ほど前の奈良時代にさかのぼるのであった。↓

昔、佐野近世という男がいました。

病身の妻と娘の春姫(16才)の3人家族。ある時、筑前守護職として博多に赴任することになりましたが、しばらくして妻が死んでしまいます。

近世も春姫も悲しみに暮れる日々。なんとか立ち直りたい、そんな想いもあって後妻を迎えたのでした

が、この後妻がなかなかの曲者だったのです。彼女は、連れ子である春姫が疎ましくてしょうがない。

ある時、この後妻は知り合いの漁師をお金で釣って、とある計画を実行します。

 

その計画とは、春姫を陥れるための嘘を近世にふきこもうというもの。それはこんな具合。↓

近世の元へ、漁師が苦情を告げにきました。「あなたの娘である春姫が、私(ここでいう漁師)の釣衣を盗んで困っている」と。

近世は驚きます。自分の娘が盗みを!?問いただすためにさっそく春姫のもとへ向かう近世。

するとそこにはぐっすり眠る春姫の姿。そして彼女の上には濡れた釣衣が掛けられていたのでした

もちろんこれは後妻の策略。その筋書きはきっとこんな具合。↓

知らない男の服を盗ってきて、それを掛布団にしているとは!!どろぼう猫!!

盗人であると思わせることが第一の矢、そして漁師との親密な関係をも匂わせるということが第二の矢。これが近世へ放つ後妻のダブルアタック。

だけどね、こんな安っぽい猿芝居を果たして誰が信じますか?

近世は信じきっていたのであった。そして、それはもう激昂したのであった。あのさあ。

ここでストップ。お話が続く前に、私はいま一度検証しておきたいです。それも<近世の立場>で。↓

その一。そもそもなぜ見知らぬ漁師の服(びしょびしょ)を、若くて美しい春姫(自分の娘)が盗むと思ったのか。

その二。春姫はどうして、眠る前にわざわざ、どこかへ漁師の服を盗りに行き、そのまま掛け布団として使ったか?

その三。びしょびしょの服を掛け布団に使いますか

近世さん!!あんた間違ってるよ!!だけど当の近世はちっとも疑問を抱かない。

その一方でまた、私は春姫にも言いたいことがあるんです。

犯行状況的に、春姫はぐっすり眠っている間に、びしょびしょの濡れ衣を犯人(後妻か漁師)に掛けられている。びしょびしょ!!重いよ!!寝苦しいよ!!

「いい加減に、お前(春姫)起きろよ!!」

でも春姫起きない。絶対起きない。なぜなら成長期だから。いつでも眠たい、これが若さの罪。若さそれは振り向かないこと。

こうして、全ての事象がダメな感じに絡み合って、さらにお話は進んでいきます。↓

キレてキレてキレまくった近世。気づいた時には春姫(自分の娘)を斬り殺していたのでした。

これでお話は終わりません。ある晩のこと。近世の枕元に、涙する春姫(亡き自分の娘)が現れました。そして春姫は

「ぬぎ着する そのたばかりの 濡れ衣は 永きなき名の ためしなりけり」

「濡れ衣の 袖より伝う 涙こそ 無き名を流す ためしなりけり」

と雰囲気たっぷりそして風流に二つの歌を詠み、自分は無実なのだと近世(父)に訴えます。そして歌を詠み終えると、春姫はいつのまにすうっと消え去ってしまうのでした。

ここで初めて近世は、春姫の事件に疑問を感じます。ひょっとして!?

後妻を問い詰めて真実を知った近世は、自分の過ちを激しく悔いて出家。

それからのち、娘である春姫の冥福を祈るため、堂宇を建てたのでした(完)

そしてこのストーリーを基に、↓

無罪の罪に落とされる意として、「濡れ衣を着る」というフレーズの発祥の地となったのでした。おわり。

(※ちなみにこちらにある石碑『梵字板碑』は、もともと聖福寺西門近くにあったけれど、江戸時代に石堂川(御笠川)東に移転。さらにその後河川改修に伴い現在の場所へ移されたとのだそうです)

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【濡衣塚】

福岡市博多区千代3丁目2