名島城を探してみたけど 4/4【宗栄寺】
前回に引き続き、今回も名島城のお話です。↓
これまで数回に分けて、福岡市東区の名島地区にある【名島城跡】を訪ねてきました。
いまいちどあらためて【名島城跡】の位置関係を地図で照らし合わせてみると、おおよそこんな具合。↓
そして前回訪ねた【名島城】『本丸跡』を地図で確認していたら、『本丸跡』の下(南)のところに『南丸(跡)』の文字を見つけたんです。なにこれ?気になりますよね!?
そこで【名島神社】境内から南側へと向かって歩いてみたいと思います、というのが今回のお話です、こんにちは。
【名島神社】の境内南側にも鳥居があって、↓
その鳥居をくぐると、もういきなり【宗栄寺】!!ということは、つまりここが『南丸跡』でもあるといふことなのかな。↓
そばに説明書きがありましたので↓
さっそく読んでみたいと思います。↓
【名島神社】は江戸時代まで、神仏習合により【名島弁財天社】として祀られていました。
『宗像三女神』の中でも最も美人とされる「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」が、仏教の「弁財天」と同一神とされていたのである
だがしかし↓
明治時代の神仏分離令によって、「弁財天」はこちら【宗栄寺】に祀られることになったのであった
とにかくお邪魔してみましょう。【宗栄寺】は天台宗のお寺。↓
お寺だけど神社のような趣きがある境内の雰囲気。これは先述した神仏混合の影響だそうです。
地蔵堂。そばに由来書きがありましたので↓
読んでみると、↓
天草一揆を制圧するため出陣していた黒田藩の「岡田半左衛門利良」と息子の「佐右衛門正興」は、ともに戦死してしまいました。
利良の妻は尼となり、父子の遺品を名島の古塁の麓に納めて精舎を建てました。これが【宗栄寺】の始まりです。(宗栄寺HPを参照)
とのこと。社務所があって↓
狛犬。↓
弁天堂。↓
こちらは、ご本尊である「薬師瑠璃光如来」が安置されている「薬師堂」。別本尊が「弁財天」とありました。↓
『三日恵比須神社』。↓
山門ならぬ二の鳥居。扁額には『弁財天』と刻まれています。↓
さらに南下して。ここは『弁財天通り』。↓
それから「弁財天像」。↓
「弁財天」というのは『河』を神格化したものらしい。↓
また、境内のあちこちで見かける蛇の石像が意味するのは↓
白蛇が「弁財天の使い」であるだとか、はたまた↓
「弁財天の化身」である、とか言われているためだそう。↓
『卵はお供えしないでください』。お願いします!!↓
左から「文殊菩薩」「釈迦如来」「普賢菩薩」。↓
来た道を振り返ってみるとこんな景色。参道の向こうに見えるのが、
先ほど訪ねた「弁天堂」。↓
もう少し南へ進むと、参道入り口の門柱があって↓
ここから階段を下ると、一の鳥居。↓
一の鳥居前を走るのは『ダンベ弁天橋通り』である。↓
説明書きによりますと、『名島火力発電所へ石炭を運ぶ「ダンベ船」の船溜りがあってそこに橋がかかっていました』との記述がありました。↓
つまりここは、かつての海岸沿いだったというわけで、つまり【名島城】『南丸(跡)』もこの辺りで終了ということ。だってもう先は海じゃん。
『ダンベ弁天橋通り』の向かいには、
名島火力発電所跡の碑があった『名島西公園』。↓
といったところで、しばらく続いた【名島城跡】巡りの散策はおしまいです。お疲れ様でした。
最後まで読んで下さりありがとうございました。。
全く知らなかった【名島城】のことが、少し身近になった気がします。完。
【宗栄寺】
福岡市東区名島1-25-1