兄の弟【福岡市登録文化財 旧貝島家住宅 高宮南緑地】
先日、福岡市南区の高宮界隈を練り歩いていたんです。こんにちは。
野間四つ角の交差点から高宮通りを北へ進み、
通りを外れて小さな小路を入ったところには
「若久川」が流れていて、その川の上に架かるのは「野間橋」。↓
そこから緩やかな坂道を進んでいくと↓
通りの左手に【福岡市登録文化財 旧貝島家住宅 高宮南緑地】と記された案内が!↓
そしてその先には、立派なエントランスを確認することが出来ます。↓
おやおやさっそく近づいてみると、こちら【旧貝島家住宅】は現在『高宮庭園茶寮』として開館しているんだよ、と記してある。見てみたいじゃん!と思った瞬間、その刹那、↓
奇跡的に、私の失われていた記憶が甦ることになるのであった。↓
ではまず秘蔵フォルダを開いてお見せしたい。こちらは2019年に撮った『高宮南緑地』の写真である。↓
当時、散策の途中に偶然通りかかり、なんとも大きなお屋敷を見るや、
無心で激写したままそれっきり。こうして今回、皆さまにご紹介できる機会が訪れて嬉しいです。
といったところで、敷地内へお邪魔します。↓
右手に見える、あのおしゃれなエレベーター脇には↓
敷地案内図がありましたので、ここでばっちりチェックをし、↓
それからゆるやかなカーブを描く坂道をのぼっていくと、↓
真正面に【旧貝島家住宅】。↓
左を見やると、そこには『主庭』。↓
入っていいものか分からなかったので、お庭へは入らずに、↓
そのまま先へ進みます。こちら【旧貝島家住宅】。↓
いくつか説明書きがありましたので、↓
順にそれぞれ読んでみることにしますね。↓
レストランはランチとディナー。そして茶房 喫茶。高宮南緑地公園。館内のご見学のみも可能性です
え待って!?見学できるなんて今知り(これ書いてるこのタイミング)で初知りですよ!もっと訪問時にしっかり読んでおけば良かった。
でもせっかくならお茶しながら見学してみたい。
次の説明書きも読んでみます。↓
『旧高宮貝島家住宅』は麻生・安川とともに「筑豊御三家」と呼ばれるほど隆盛を誇った貝島太助の弟貝島嘉蔵の邸宅。大正4年に直方に建設され昭和2年に高宮へ移築
続きます。↓
伝統的な和風建築技術で建てられ、公私を区別した接客空間と生活空間を持ち、最大時には1172㎡と圧倒的な規模。現在は接客空間であった主屋と茶室が残され福岡市に寄付されています
もう少し続きます。↓
主屋は豪華で厳格な佇まいを醸し出す書院造と素朴な材料を用いた粋な数寄屋造の部屋が存在。それぞれ工夫された意匠で庭園を望む開放的な空間。大規模な近代和風建築であり石炭業の歴史を伝える貴重な建造物
とのこと。これが往時の間取りだそう。↓
そして筑豊御三家である。麻生・安川そして貝島家!
ここでは貝島家についてwikipediaから軽く参照してみたいと思います。↓
貝島太助は貝島財閥の創始者。筑豊炭田のうち貝島炭鉱を開発。筑前国鞍手郡直方町(現・福岡県直方市)の貧農の家に生まれた。時は幕末。8歳の頃から、生活のために父とともに石炭掘りの仕事を始め、明治3年から炭鉱経営。明治18年に大之浦炭鉱を開坑。次々と鉱区を拡大
続きます。↓
日清戦争による好況で更に事業を拡大。大正5年、71歳で死去。貝島炭鉱は第二次世界大戦後、石炭から石油への転換に乗り遅れ、1976年に閉山
とありました。ちなみに弟貝島嘉蔵については良く分かりません。分かり次第また。
今度は敷地奥、つまり向かって右へ進んでみますね。↓
するとそこには『迎賓館』、それから↓
かわいらしい『ミュージックホール』の姿。↓
といったところで見学はそろそろおしまいです。
せっかくですので、門を出て敷地外周に沿ってぐるり一周まわってみようと思います。↓
閑静な住宅地に、森のようなお屋敷。
存在感がやばい。↓
ようやっと『若久川』まで戻ってくることができました。完。でもちょっと待って。↓
お話は変わるんですが、聞いてください。
この『若久川』がバリバリ気になるんです。というのも以前ちょっとした関わりがあったから。↓
その運命のお話はまたあらためて。↓
【高宮庭園茶寮】
福岡市南区高宮5丁目16-1