雰囲気と言えばだいたい通じる【半道橋地禄神社】
福岡市博多区の山王地区にある
『山王公園』(↑)を抜けて↓
「きよみ通り」の川沿いを歩いていたときのことです。↓
御笠川にかかる「平成大橋」の欄干が妙に立派で↓
いったいなにごとだろうと不思議に思ったんです。すると橋の向こうにいい感じのなにかがあるぞ。↓
森の下の暗渠的なやつは、反対側にもあって、まるで秘密のトンネルみたいでかっこよい。↓
近づいてみると↓
ここは「御笠川緑地」というらしく↓
そこには【地禄神社】が鎮座しており↓
すぐのところに案内板がありましたので↓
ますは読んでみたいと思います。↓
地禄神社の由来。ご祭神は「埴安神(ハニヤスノカミ)」。建立は不詳とされていますが、かなり以前からだと古老に聞きました
そして↓
古老の話によると二百年前には建立されていたと思われます。神社右側には二抱以上の松の木がありましたが今は枯れてありません。
「埴安神」は田の神様で、天神様と呼んでいましたが、それは誤りで、本来は田の神様で永年の間に天神様と呼ばれるようになっただろうと神官に教えられました
天神様というのはもともと雷神で、それが転じて道真公を表すようになったとききました。
つまりこちらの説明書きでは、「埴安神」=田の神様=天神様、ではなくて、「埴安神」=田の神→天神様。ということを言っているのかな。違ったらごめん。↓
さらに続きます。↓
昭和初期まで子供達が正月に絵馬を祭り、七月に親達にダンゴを作ってもらいお祭りをしていました。
大正末期より昭和の初めにかけて、下半道橋に火災が多く発生
そこで対策を考えました。↓
これまで大人達は、神社の祭りを子供達にさせていたけれど、それはいけないと大人が祭りをするようになりました。また神殿を再建し神官を迎えて新しく祭り日を決めた結果、火災はピタリと鎮まり静かになりました
犯人はつまり子ども!?暗に責めているような気もするけど、それは私の気のせいでしょう。
説明書きはまだ続きます。↓
その後、神社では「五穀豊穣」「家内安全」を祈願するようになり、今日、日々安らかであります。ちなみに古い扁額に「埴安神」「地禄神社」と並記されて、裏に昭和二年二月二十日再建、神職、小鳥井 寛次郎(大宰府天満宮元権宮司)と記されていました。また、昭和三十二年四月にも再建され、更に、昭和六十一年十月に再建されました
とのこと。
それでは境内を歩いてみます。こちらには祠というか本殿というのか。↓
あっちの向こうに見えるのが、山王公園にある「博多市民センター」の建物。↓
これはなんというものですか。門と祠のハーモニー。↓
裏から見るとこんな具合で↓
すぐそばには御笠川が流れているよ。↓
こんな天気の良い日には、ベンチでのんびりするのもいいかもしれない。↓
雰囲気がいいんです。↓
からの、やっぱ御笠川。良い感じ。↓
【半道橋地禄神社】
福岡市博多区半道橋1丁目1−151−2