全9門の一つが水城口城門だ【大野城自然の宝道04】

前回の続きです。↓

前回はといいますと、『大城山(四王寺山)』山頂の『毘沙門堂』から反時計回りに土塁跡の尾根を辿り始め、

ようやっと『けいさしの井戸』そして『広目天礎石群』へ辿り着いたのでした。こんにちは。では引き続き今回もスタート。

『広目天礎石群』から少し進んだ先のところに『大野城跡』を示す石碑があって、↓

そばに説明書きが立っていましたので↓

さっそく読んでみたいと思います。

特別史跡 大野城跡 水城口城門。大野城跡のある四王寺山(410m)は、北側に開く高い峰が馬蹄形に連なる山の形で、その峰を利用して土塁を築き、谷には石垣を築いて城壁とし、全長約8kmの防衛ラインを形成しました

続きます。↓

その内部には70棟を越える倉庫群が置かれており、この構造は韓国などで知られる古代山城と共通することなどから「朝鮮式山城」と言われています。土塁には現在までに礎石などの存在から9ヶ所で門が発見されており、そのうちここは特別史跡水城跡の東門に連なる箇所に置かれた「水城口城門」と言われています

(※水城跡の東門に関しては、こちらのお話も!)

また、地図で確認してみると、9つの門とは

○水城口城門○坂本口城門○観世音寺口城門○太宰府口城門○原口城門○小石垣城門○北石垣城門○宇美口城門○クロガネ城門

の9つ。説明書きはもう少しだけ続きます。↓

門を出ると道は二手に分かれ、右に下れば水城跡東門へ、左に下れば筑前国分寺跡方面に至ります

とありました。こちらは添えられた案内地図で↓

そばには割れた瓦が並べられていたり。これはいったいなにごとなんです!?呪術関係!?怒りにまかせて!?↓

いく通りかに渡る「下り道」の案内も出ています。↓

そして今立っているこの場所が、どうやら【水城口城門(跡)】みたいなんです。先ほどのお話にもあった大野城全9つの門のうちの一つが、かつてここにありました、ということ。↓

そうは言っても現在はただそこに山道があるばかり。門があったなんて様子がさっぱり掴めません。ですがご安心を。ここで私のとっておきフォルダが火を噴くのである。

以前『大野城心のふるさと館』を訪ねた時に激写した、2階展示室の大野城ミニチュア模型の姿がこれだ!!↓

どうです!?ちょっとイメージ湧きませんか。撮っておいて良かった。ふるさと館にまじ感謝。

 

おまけに!今度は『宇美町立歴史民俗資料館』で撮った写真も大公開しちゃいます。

まずは「城門復元模型」。↓

こちらは礎石や門の仕組み。↓

そして宇美側の城門の礎石(百閒石垣)。これでおしまい。↓

では引き続き山道を先へ進みましょう。

しばらくすると小高い丘の上に東屋があって、

さっそく階段を上ってみるとそこは展望台。

その展望台隣りには『三十三体石仏28番札所 聖観音』の姿も確認できます。↓

さらに進むと道は二手に分かれ(最終的には分かれないけど)、真っ直ぐ進めば『焼米ヶ原』で、左へ進むと『創造の森展望台』、と記されています。

さっそく展望台へ寄ってみたら、こんな風景が広がっており、

そのあと再び道は合流することになります。ここから『焼米ヶ原』方面へ向かえば、そこには『増長天礎石群』『鏡ヶ池』、

(※以前に『増長天礎石群』『鏡ヶ池』を訪ねたお話はこちらで!↓)

(※のちに再度『増長天礎石群』『鏡ヶ池』を訪ねたお話はこちらで!↓)

さらに、『大野城の大石垣』なんていう史跡もあるらしいんですが、今回の訪問はここまでとなります。

気になる『大石垣』は、またの機会に是非訪ねてみたい。(※のちに大野城の大石垣を訪ねたお話はこちらで!↓)

さてさて。帰り道ルートは『大野城歴史の散歩道』コースを辿ってさくっと下山。それからダッシュで帰宅してチョコミントアイスを2つも食べました。美味しかった。

ご清聴ありがとうございました。


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【水城口城門】

福岡県糟屋郡宇美町四王寺