中核に寒水浸法、土囲い法、冬蒔き畑苗代法【勧農社跡】

ちょっと前のお話です。恐縮です。こんにちは。

福岡市早良区の野芥地区界隈をぶらぶら散策していたんです。

通り沿いにはうどん屋とか中華料理屋だとかあれこれ飲食店が立ち並び

寄りたい気持ちはやまやまなんだけど寄りません。なぜなら最近太り気味だから。

気味っていうかもうだいぶ太ってるから。でもアイスだったら食べてもいいんじゃない!?とか歩きながらぶつぶつ言ってたんです。

すると通り沿いにこんな案内を見つけたのであった。中華料理じゃないよ。こっちこっち。【勧農社跡】。

なんだろう気になります。というわけで、もう食べ物の話題はやめて、さっそく寄ってみたいと思います。

左に枝分かれした小道を案内通りに真っ直ぐ進んでいくと↓

そこはちょっとした住宅街の通り道。↓

【勧農社跡】ってどこだろう。まだまだ先へ進みます。↓

すると道路左側に用水路っていうんですか、なんていうんですか、こういうの。

とにかくそういうのが暗渠から顔を出して↓

その先を見てみると、大きな民家の前に門柱が立っています。↓

民家入り口には案内板も立っている。でも民家の入り口ですよ。近づいてもだいじょぶそ!?読むくらいなら、いいとも!?

なるべく怪しまれないよう、安心してくださいオーラを身に纏い、柔らかい表情を浮かべながら

ピースな感じで【勧農社跡】の案内板を読んでみました。その内容はこんな具合。↓

勧農社跡。勧農社は明治時代の農業技術指導者「林遠里」によって設立された私塾。遠里は福岡藩砲術指南役林直内の次男として生まれ、自らも砲術教道を務めたあと、後に藩職を辞し農業改良に専心することに

続きます。↓

遠里は実験に裏付けされた改良法に、牛馬の畜力による深耕を合わせた「福岡農法(筑前農法)」を発案。勧農社を設立。実業教師の育成を行い全国各地に派遣。福岡農法を全国に普及させた。

もう少し続きます。↓

門下生は600人余りに達し、陸奥宗光、大隈重信、榎本武揚などの著名人が名誉社員となって遠里を高く評価した

さらに、wikipedia『林遠里』の項からも少し参照すると↓

林遠里の考案した農法は、筑前農法または福岡農法と呼ばれ、寒水浸法、土囲い法、冬蒔き畑苗代法をその中核としながら、多労を旨とした集約的農業技術により土地生産性を高める一方で、抱持立犂を装備した牛馬耕を導入することによって耕耘作業を省力化し、労働生産性を高めるというものであった。この筑前農法は明治農法の中核的な農法として、全国に広まった

とありました。なるほどさっぱり分かりません。こちらは説明書きに添えられた肖像写真と勧農社模型。↓

そして遠里の墓地を示す地図。↓

そういえば、来る途中に林遠里と記された案内をみかけていましたよ。そうそうこちら。↓

来た道を引き返して訪ねてみましょう。

壁沿いの細い道を通る。

引き続き、私怪しい人物じゃないよ、という表情で先へ進みます。↓

こちらが林遠里のお墓で

墓碑の裏にもなにか記してあったけど、判読できず。↓

それからさきほどの道へ戻って、さらに山の方へ向かって歩いてみたけれど、最後は行き止まりだったので↓

また別の道を下って帰っていたら、通り沿いに神社が鎮座していました。↓

こちらは【重留宝満神社】。境内へお邪魔します。↓

境内社。↓

本殿。といったところで↓

参拝も終わり、うどんでも食べて帰りたいところである。

【勧農社跡】

福岡市早良区重留4丁目11-47