「馬責め」とは「馬を訓練すること」の意【焼米ヶ原(幻)】
前回の続きです。↓
前回、四王寺山を登り↓
標高281mにある『岩屋城跡』の地で、合戦の残響を聞いたのでした。こんにちは。↓
今回はといいますと『岩屋城跡』を訪ねたその足で、さきほど案内板で見つけていた【焼米ヶ原】なる場所へ向かいたいと思います。↓
この地名の読み方が分からずに、私は「しょうまいがわら」とか言ってたんだけど、正しくは「やきごめがはら」らしいです。↓
そしてその名の由来というのは、焼いた米が見つかったことからだそう!?は!?
焼いた米?チャーハン?↓
しばらく歩くと再びガードレールがあって↓
それはつまり、この林道を渡って↓
こちらの道へ入っていくということ。↓
そうしてさらに進むと↓
『馬責め』。↓
『馬責め』と聞いてみなさんが思い浮かべるのは、今年の東京オリンピック競技『馬術』にて、ジャンプしない馬を殴って失格になったドイツ人選手のことだけれど↓
勿論ここは、オリンピックと関係ありませんよ!?↓
案内板を読んでみるとこんな具合。↓
この辺一帯は「馬責め」と呼ばれています。「馬責め」とは「馬を訓練すること」の意で、ここに岩屋城城主高橋紹運の馬場があったという言い伝えがあります。この「馬責め」を囲む土手は大野城(665年築造)の土塁跡です
再び分かれ道があったりして。↓
景色は開け↓
ここは『大野城跡 増長天地区』である。↓
案内板がありましたので↓
読んでみたいと思います。↓
当地は城の南東部で、太宰府口城門に近い内部土塁のすぐ内側である。4棟の高床建物跡が一列に並んで残っている
そして↓
下段建物の西側に鏡ヶ池と呼ばれる小窪地があり、どんな渇水期でも水が絶えないという、大野城の井戸跡ではとも考えられています
また↓
増長天という地名は、奈良時代に城の西端部の鼓峯(410m)を中心に作られた四王院に由来するものだろう
とのこと。
こちらが鏡ヶ池。↓
(※のちに再び増長天礎石群を訪ねたお話はこちらで!↓)
そしてさらに奥へ進めば【焼米ヶ原】です。なんだけども!?↓
なんと、ここでまさかのUターン。↓
Uターンした理由は、勘違い。またいつか、もう一回Uターンして、この地へ戻ってきたいです。↓
(※のちにきちんと焼米ヶ原を訪ねたお話はこちらで!↓)
そんなわけで下りはあっという間、とか言ってたら↓
今度は、下り口を間違えるという失態。「秋」の森でスタートしたのに「春」の森でゴールという悲しみである。↓
それはともかく。さらに下りに下って
『戒壇院』と『観世音寺』の
間の小道をすり抜けて↓
無事に政庁通りに出てきたら↓
通り沿いに、たまたま『高橋紹運公』の墓道碑を見つけたんです。結局ついてるう。↓
というわけで、ここでお開きです。↓
お疲れ様でした。ありがとうございました。
【焼米ヶ原(幻)】
福岡県糟屋郡宇美町四王寺126