土塁ばっかり造っちゃってさ【大城自然の宝道03】
前回の続きです。↓
前回、『大城山(四王寺山)』山頂にある『毘沙門堂』まで辿り着きました。
今回はその『毘沙門堂』から土塁跡を反時計回りに辿って、四天王の一人【広目天】の名が付いた区画を目指したいと思います。こんにちは。
先ほど(前回)通り過ぎた案内の立つ場所を、今度は逆向きに通り過ぎて、↓
そのまま土塁跡を辿って進んでいきます。すると、↓
26番と記された案内が目の前に。石仏!?↓
そうですご名答。こちらは『三十三体石仏26番札所 千手観音』。誰もいない山道での出あいは嬉しいもの。↓
そばにベンチがあったのでひと休みしてから、↓
さらにどんどん歩いていきますよ。↓
この辺りはアップダウンのないなだらかな山道。軽やかステップに心が弾みます。↓
すると再び案内を発見。目的地の『広目天礎石群』そして『27番石仏』さらに『けいさしの井戸』、3つの史跡が記されている。↓
さっそく向かってみることにします。
『三十三体石仏27番札所 如意輪観音』。↓
そこから上ってみると、↓
ちょっとしたスペースがあって、この辺りが『広目天礎石群』!?『広目天』に関する案内などは見あたりませんでした。
でも推測するに、倉庫なんかの建物がここにあったから、↓
こうして井戸がある、というふうにつながっているのかな。
そしてその『けいさしの井戸』。↓
そばに説明書きがありましたので、
ざざっとざっくり一部を読んでみます。↓
けいさし(警査使)の井戸。警査使というのは、兵の督励・査察を目的にした職と考えられています!?大野城の場合、騎馬は太宰府口から毘沙門天を目指し急坂を登るわけで、この井戸は疲労した馬に水を与えるのに適した場所だと言えます
なるほど、この井戸はどちらかというと馬のための井戸らしい。
では再び土塁跡の山道へ戻ります。↓
案内にある「センター」というのは『県民の森センター』のこと。その名が記す通り、土塁の内側に位置しているという「センター」。そのうち訪ねてみることにしましょう。
この辺りには各方面への下山案内が出ており、↓
そして石碑も立っている。そばでしっかり見てみると、碑には4つの面それぞれに「四王寺址」「大野城址」「境界線」「文部省」と記されていました。↓
といったところで、今回はここまで。次回が最終回です!よろしくお願いします。
【四王寺山】
福岡県糟屋郡宇美町炭焼