あなたのため息で世の中真っ白【国分天満宮】
先日、福岡県太宰府市の国分地区に鎮座する【国分天満宮】を訪ねたんです。訪ねたというよりも偶然通りかかったんですけど、まあ今回はその時のお話です。
それは今年の夏辺りのこと。私はふと『太宰府市文化ふれあい館』へ行こうと思い立ち、福岡方面から太宰府方面へ向けて福岡日田線を進んでいたのであった。↓
「水城館」を通り過ぎて(→ここを夢の国と呼ぶ人もいるだろう【水城館】)↓
国分寺前の信号で左へ曲がって「国分台通り」へと入ると↓
そこからはゆるやかな坂道がしばらく続きます。↓
「旧小字 松本(木)」?どっち?↓
左にも右にも色々あるけれど、今回はまだまだ真っ直ぐ進んでいきますよ。↓
ほら案内が出ています。あんしんあんしん。↓
通りの突き当たりで、道は二手に分かれており↓
今回は右へ曲がって「国分寺通り」へと入っていくのであった。↓
曲がり角には立派な碑が立っていたんだけど、なんですか。知ってますか。私は読めませんでした。ごめんね。↓
通りの角には案内が出ていて、どうやら「太宰府ふるさと館」の手前には「筑前国分寺跡」という史跡があるみたい。気になりますね。↓
先へ進むと、通りに「国分寺」の文字。右は駐車場ということかな。↓
さらに進むと、なんと道路の真ん中にオブジェ!?があって↓
そばへ寄って見ると説明書きがありました。これは「八角燈籠」というものなんだそうです。↓
では、さっそく読んでみますね。↓
この燈籠は奈良東大寺の八角燈籠をモデルに製作しました。火袋には音声菩薩がさまざまな楽器を奏でています。東大寺は奈良時代に全国の国分寺の中心として建立されました。
燈籠の真ん前には「国分寺」入り口があって↓
その「国分寺」隣にはなにかしらのスペースがある。これが「国分寺跡」かしら。↓
また、燈籠の向こう側には神社が鎮座しているのが見えます。「国分天満宮」とのこと。さっそく訪ねてみたいと思います。↓
通り沿いに鳥居があって↓
「旧小字 堀田」。↓
こちらはなんだろう。「石垣」というキーワードだけは分かったんだけど。↓
それでは境内へ。↓
境内の左手に「山上憶良の歌碑」があって↓
そのそばに説明書き。歌を書き写すとこんな具合で↓
大野山 霧たち渡る わが嘆く おきその風に 霧たちわたる
歌の大意というのは↓
大野山に霧。私が亡き妻を思って吐く、深い深いため息で 一面に霧が立ち渡っているよ
ちなみに大野山というのは四王寺山のことなんだそうです。それはつまり、この山ってことなのかな?↓
こちらが拝殿。↓
拝殿内をちらっと失礼して。↓
狛犬。こんにちは!↓
こちらの境内社は↓
その由緒書きなど特に見あたりませんでしたので、『太宰府市文化ふれあい館HP』より参照したいと思います。↓
国分という地名は、天平13 年(741)に聖武天皇の詔によって建てられた筑前国分寺によるもので、この他にも国分尼寺跡、国分瓦窯跡があります。
そして↓
かつての集落は国分寺周辺の農業を生業とする「ムラ(方)」と、日田街道の道筋に沿った商人や職人が多く生活する「マチ(方)」と呼ばれる場所にありました。
国分天満宮はかつての「ムラ」の住民により祀られています。ご祭神は「菅原道真」。
とのこと。本殿で↓
境内の雰囲気はこんな具合。↓
また、【国分天満宮】の向かいは広場になっているみたい。ちょっと寄ってみると↓
ザ・広場。↓
園内から振り返ると、向こうに【国分天満宮】が見えて↓
バス停もあるね。↓
さて、お次は『国分寺』そして『国分寺跡』を訪ねたいと思いますが↓
続きは次回に。よろしくどうぞ!
続きはこちら!(→行基は行基集団を形成してたんだってさ【国分寺】)
【国分天満宮】
福岡県太宰府市国分4-735