元祖というパワーワードの底力【博多温泉】

つい先日のことです。

福岡市南区の那珂川に架かる井尻橋を渡っていたら↓

【博多温泉】と書かれた看板が目に入ってきたのであった。こんにちは。↓

へえ、こんなところに温泉が!!とか言って、その看板が導くままに小道へ入っていくと

確かにそこには博多温泉『富士の苑』が。

エントランスのところまでお邪魔してみたけれど↓

なんの用意もしてませんので、じゃあ入っていくかというわけにもいきません。↓

また今度、と適当な言葉を残して私は温泉をあとにしたのであった。

それにしても、那珂川沿いがいい感じに盛りを迎えており↓

そのまま盛りに誘われて的場橋を渡ってみたり↓

禁止!!↓

振り返ってみたり↓

辺りを散策していると↓

おやおや。↓

少し離れたところに【博多温泉】の看板が。元祖。元湯。↓

さっそく小道を進んでいくと↓

【元祖博多温泉元湯】。↓

通りの向かいには碑と

説明書き。↓

読んでみますね。↓

大隈言道。よこて。野を縦に 横手の川の流れこば 浮べる鳥も ここに見まじを

横手の川というのはさきほど渡った那珂川のことでしょう。その横手の地を詠んだ大隈言道の歌が記されているようです。(※大隈言道についてはこちらの記事もどうぞ!↓)

こちらには由来記が。↓

もちろん読みます。↓

ここ元祖元湯の所在地である日佐は日佐職と称した通訳が住んでいた地です

(※日佐職のお話はこちらでも!↓)

続きます。↓

昭和41年に地蔵様のたもとに井戸を掘ったら、湯が沸きだしました

ということだそうです。入り口そばにも説明書きがあって↓

読んでみると、こうありました。↓

かつて、享保の飢饉で多くの人が飢え死にしました。そのため、那珂川横手河畔に多くのお地蔵様がまつられました。のち、河川改修のため、奥博多温泉センター敷地にお地蔵様は移されました

そして↓

その温泉センターが横手中学に売却された時に、お地蔵様の一体を元湯にお迎えしました

とのこと。

 

(※享保の飢饉については、先日訪ねたこちらの記事も!↓)

さて現在の横手中学校は、もともと温泉センターだったということらしく

せっかくですし、寄ってみることにします。元湯はまたいつか来ますから!と再び適当な言葉を残しつつ↓

来た道を引き返して↓

川沿いにある横手中学校を見て、なるほどと呟いて↓

家に帰って風呂でも入るか、と思ったのであった。

完。


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【博多温泉】

福岡市南区三宅3丁目19-7