聖武帝勅達筑前国分寺山号は龍頭光山【国分寺】
前回の続きです。↓
前回、福岡県太宰府市にある『太宰府ふるさと館』へ向かっている途中に、たまたま『国分天満宮』そばを通りかかりましたので、
さっそく訪ねてみたのでした。こんにちは。↓
今回は、その天満宮すぐそばにある【国分寺】を訪ねてみたいと思います。が!↓
なんの知識もありませんので、まずwikipediaの『国分寺』の項を参照して、下調べしておきますね。↓
筑前国分寺は高野山真言宗の寺院で山号は龍頭光山。本尊は薬師如来。聖武天皇の詔により日本各地に国分寺が建立されました。そのうちの一つ「筑前国国分寺」の後継寺院にあたります
また↓
江戸時代中期、創建時の国分寺は廃絶していたけれど、江戸時代後期に江戸から来た修行僧が廃絶を嘆き、小庵を結びました。その後修復・再興が図られ、天保4年(1833)に再建
といったお話がありました。ではいよいよ、
【国分寺】にお邪魔しましょう。↓
入り口前には『聖武帝勅達筑前国分寺碑』が建っている。↓
敷地内を進み↓
山門をくぐって↓
境内へ。↓
きれいな本堂。↓
え待って。来たばっかりですよ!こんにちは。↓
さて、ここで再びwikipedia「国分寺」の項から参照します。↓
現在の伽藍は、創建時の金堂跡に重複する。堂宇は本堂・礼拝堂・観音堂・庫裏等を備えている
「伽藍」とは寺院のこと、また「堂宇」とは堂の建物の意だそうで、つまり、かつてこの場所に『金堂』があったようです。↓
さっそく『金堂礎石』を発見。↓
こちらは『如意輪観音堂』。↓
お寺のご本尊「薬師如来」 は、奈良時代に行基によって作られたのだそう。↓
ではお寺をあとにして【国分寺跡】へ向かってみます。↓
すぐ隣りに広場のようなスペースがあって↓
なんだかそれっぽい雰囲気。史跡だぞって感じがプンプン。↓
通りの右には、さきほど(前回)訪れた『国分天満宮』が鎮座。↓
広場的スペースへ近寄ってみると↓
すぐそばに案内板が立っていました。こちらが【国分寺跡】。
では案内板を読んでみますね。でもお話の続きは次回になります!↓
※追記。後日訪ねた『大宰府展示館』の展示によりますと、↓
かつての国分寺はこういう具合になっており↓
金堂をぐるり回廊が囲んで、その中の右手に七重塔があったそうです。↓
【国分寺】
福岡県太宰府市国分4-13-1