湿地に枝を敷き土を盛って直線に官道を造る【官道09】
前回の続きです。
前回、いよいよ西門跡を出発して鴻臚館(元・筑紫館)跡を目指して歩き始めました。
そして第一の目印である『上利小学校』それから『上利中学校』へと軽々たどり着いたのでした。
こちら第一の目印は、書籍『1300年前の高速道路』から参照したもので、
再び書籍によりますと、次の目印は、↓
官道は九大の筑紫キャンパスへ抜けていた。この一帯は湿地だったので、枝などを敷きその上に土を盛って直線に官道を造った
とありました。さらに、書籍『海路12号 九州の古代官道』内の記述では、
鴻臚館の所在地とした福岡城内から水城の西門を直線的に結ぶルートを想定、その途上にある駅を石瀬駅に比定。石瀬駅の場所は現在の南区三宅周辺に求める。西門の北側では大野城市池の上遺跡、さらに北側の春日公園遺跡、先の原遺跡などで遺構が確認。鴻臚館跡はこの延長線上に位置
とのこと。
なるほど『春日公園』が次の新たな目印になりそうです。それではさっそく『上利小学校』それから『上利中学校』からスタート。
通り向かいに見える緑のカーテンが、『九大筑紫キャンパス』の敷地。そのままキャンパス内を突き抜けられませんので、迂回することに。
通りに沿って左へ曲がる緩やかなカーブを下っていきます。
この界隈は以前にも訪れた、かつての『米軍春日原ベース跡』であり、
すぐ目の前右手には『JR大野城駅』を確認することができます。
そして通り左手を見やれば、おや『九大筑紫キャンパス』の案内が出ていますので、
左へ向かって曲がっていくことにします。
小路を進むと『筑紫高校』の正門があり、
さらに進むと、陸橋が行く手を遮る。
確かこの辺りに、かつての『米軍春日原ベース東門』があったとききました。官道の東門じゃないよ。
ではここを左へ曲がります。
通りの向かいには『ラーメン六長屋』の黄色い店舗。
(※訪ねたお話はこちらで!↓)
先ほどの緑のカーテンを越えて『九大筑紫キャンパス』を真っ直ぐ突きぬけていれば、
おそらくこの門前へ出てくる形になっていた筈。
そして官道はそのまま真っ直ぐこの交差点を直進していくことになります。
直線通りの終わりには『ハローワーク福岡南』があって、
さらに進めば『春日公園』に到着です。お疲れ様でした。
園内に入って左手すぐに案内のプレートが立っており、
そのプレートに官道に関する説明書きが記されていましたので、
読んでみたいと思います。
古代の道。春日公園では「官道」と呼ばれる奈良時代に造られた道路の跡が見つかっています。この道路は、当時九州一円を統括する役所であった大宰府政庁と外国使節をもてなすための役所である鴻臚館(博多湾に面した丘の上に設置されていました。現在、福岡城跡があります)とを結んでいました
続きます。↓
道路の幅は10mほどで、両脇には側溝が掘られ、路面をがちがちに固めていました
もう少し続きます。↓
道筋は大宰府政庁の正面中央に想定されている「朱雀大路」の南端から水城の西門を通って一直線に鴻臚館へ向かっています。この水城西門ルートは、ここ春日公園遺跡以外でも近年、大野城市や太宰府市など各地の発掘調査によって確認されています
続きます。↓
この他にも、大宰府をとりまく官道には、水城の東門を経て博多海岸へ向かうもの、また西門ルートの途中から唐津方面へ向かうルートもありました。特に、海外使節を大宰府へ迎え入れるためにつくられた西門ルートの沿線上には、意図的に寺院や官衙を配置して、国家の強い意気込みを示そうとしていたようです
とのこと。官道を示す図が添えられてあり、↓
その地点の名前がこちら。↓
『春日公園』の次にある『先の原古墳』というのは、公園隣りに位置する航空自衛隊春日基地内にある古墳のこと。
もちろん基地内に入ることは出来ませんので、そばまで寄って迂回することになります。
では公園を進みます。噴水広場には『旧県庁舎の石組』があります。
(※詳細はこちらの記事で!↓)
噴水広場を抜けてテニスコート脇を過ぎ、
園外へと出た目の先に『航空自衛隊春日基地』の敷地があって、官道はこの自衛隊基地内を真っ直ぐのび、そこには『先の原古墳』があるとのこと。
では迂回して、
その先の『春日大通り』を下っていきます。
官道辿りはといいますと、このまま大通りに沿ってしばらく進み、途中で『高宮通り』へと合流する形となるのであった。
続きは次回に。よろしくお願いします。
【春日公園】
福岡県春日市原町3丁目1-4