コロ方式がなんのことだか分からない【福岡縣護国神社】
福岡市中央区の赤坂地区を貫く「けやき通り」を風のように駆け抜けて、↓
【福岡縣護国神社】を訪ねましたので、今回はそのお話です。こんにちは。
鎮座する場所を説明すると、『大濠公園』や
『福岡城跡』それから、
『福岡市美術館』からほんのすぐそば。
通りの向かいには福岡出身者初の首相「廣田弘毅」が睨みをきかせて立っているのでした。↓
これまでも何度か訪れたことがあるんですが、今回はずいぶん久しぶりです。
では、こちらの大きな鳥居をくぐって境内へお邪魔しましょう。
ちなみにこの鳥居の高さは13m、柱の直径は160cm。↓
「ヒノキの大鳥居」として知られ、木製の鳥居としては日本屈指の大きさを誇るとのこと。↓
もともと台湾(阿里山)で切り出されたヒノキを、博多港から綱引きとコロ方式で児童が運び、原木のまま鳥居の柱として建立したのだそうです。(護国神社HP参照←リンク切れ)
ん!?「コロ方式」ってなに!?コロコロ転がすってこと!?なにコロ!?コロなに!?さっぱりわかりません。
鳥居を抜けるとそこは緑で覆われた鎮守の杜で、↓
また、かつては福岡城外練兵場だった場所でもある。↓
手水舎があって↓
社殿前の鳥居。↓
鳥居前右手には『平和の像』の姿。これは戦没者慰霊の像。↓
おや!?男の子は手を繋いでないぞ。待って!?反抗期!?余計なお世話!?からの狛犬。↓
そして鳥居のずうっと先に鎮座するのが【福岡縣護国神社】。↓
案内板や護国神社HP(リンク切れ)、wikipediaの福岡縣護国神社の項から参照しますと↓
明治維新から太平洋戦争までの国難に殉じた、福岡に関わる戦没者約13万柱を祀る神社。
ご祭神はその英霊の方々。
厄払い・交通安全・安産・家内安全・入試合格・商売繁盛と、さまざまなご利益があるそうです
また
創建は明治元年(1868年)。福岡藩主の黒田長知が戊辰戦争殉じた藩士を祀るために『妙見招魂社(那珂郡堅粕村)』と『馬出招魂社(馬出村)』を建立したのが始め。
1906年に二社を合祀して『妙見馬出招魂社』に。1938年に改称し『福岡招魂社』に、1939年に『福岡護國神社』に改称。1943年に現在地に遷座、県内の他の4つの護国神社も統合して『福岡縣護國神社』に改称。
第2次世界大戦時は『正中宮』と称していたけれど、1957年に元の『福岡縣護國神社』になりました。また、1945年に社殿は焼けてしまったけれど、1963年に新築されました
とありました。
広い境内に参道が真っ直ぐのびています。ああ気持ちがよい晴天の日。
こちらは拝殿で↓
左には祈願殿。↓
境内右手にあるこちらは『招魂社鳥居』。↓
【福岡縣護国神社】が『福岡招魂社』であったときの鳥居、ということでしょうか!?↓
そばの脇道を進んでいくと、
こちらは別府橋通り沿いの鳥居で、↓
この通りの向こうには、↓
以前訪ねた『菊池霊社』(↑)が鎮座しています。
また、境内左手の隅には『特攻勇士の像』もそっと静かに立っていました。↓
それでは引き続き、境内を奥まで散策してみます。
少し歩くと
こちらは境内社の『掘出稲荷神社』(↑)で
さらに先へ進むと↓
西側入り口の鳥居の姿。
創建時に県民延べ15万人の勤労奉仕と3000本の献木で造成された人口の杜で喧噪とはかけ離れた、静寂の中にも清々しい雰囲気を醸し出しています(護国神社HPより引用)
ひんやり落ち着いた杜の中。かつて野犬なんかが出て危ない時代もあったそうですが、今は平和そのもの。ザ平和といった感じ。お話は次回に続きます。↓
【福岡縣護国神社】
福岡市中央区六本松1-1-1