そそそそそ、だからその話【現人神社】

福岡県那珂川市に鎮座する【現人(あらひと)神社】を訪ねましたので、今回はそのお話です。こんにちは。

福岡方面から那珂川方面へ国道385号を進み、現人橋交差点を左へ曲がります。↓

そして那珂川にかかる『現人橋』を渡るんですけど↓

その橋の欄干に説明書きがありましたので↓

まずはそちらを読んでみたいと思います。↓

現人神=住吉三神。困難に直面したときに姿を現して不思議な力を授けてくれる神さまである

続きます。↓

【現人神社】は戦国の戦ですべてが焼失してしまいました。現在のものは、黒田藩藩主や重臣からの寄進によるものです。正徳4年(1714)に「明神大鳥居」が建立されました

また

毎年10月の秋季大祭(おくんち)では「流鏑馬」や子どもたちによる「奉納宮相撲」が行われます

とのこと。

橋を渡ってさらに少しだけ進むと↓

仲公民館の隣に↓

【現人神社】が鎮座。↓

社務所のそばに由緒書きがありましたので↓

wikipediaの『現人神社』の項やその他色々あわせて、参照してみると↓

『住吉大神』を祀る神社は全国に約2000以上あり、中でも『大阪』『下関』『福岡』にある住吉神社は『三大住吉』と呼ばれ、その『三大住吉』の中でも、『福岡』の住吉神社は『住吉神社』の始祖とされています

とあって、↓

その祖とされている『福岡』の住吉神社は、こちら那珂川に鎮座する【現人神社】から分霊されたものである

ということらしいんです。

 

それはつまり、↓

こちら【現人神社】は、『住吉神社』(↓)の祖の祖ということになるみたい。そんなお話が記されていました。

始まりの地、本津宮(もとつのみや)。

現人神社のHPを参照しますと↓

神代の昔、イザナギノミコトが禊を行ったのは那珂川で、住吉三神がうまれたのは【現人神社】のすぐ傍だったという考察があり、遙か昔から住吉三神はこの【現人神社】の地にお祀りされていました

そして

神功皇后が大陸遠征されたときには、住吉三神が「人の姿になって現れ」嵐をしずめ、水先案内をしました。

無事に大陸遠征を果たした神功皇后は、「人として姿を現した」ことから住吉三神を「現人神」と呼び、那珂川の水を引いて神田を潤し五穀豊穣を祈念して「現人大明神」の尊号を授けられました

とのこと。【現人神社】のご祭神は↓

『住吉三神』こと「底筒男命(ソコツツノオノミコト)」「中筒男命(ナカツツノオノミコト)」「表筒男命(ウワツツノオノミコト)」

こちらは拝殿で↓

ご神木の大楠。↓

社務所。↓

社務所そばには『那珂川八十八ヶ所』78番札所があって、祠には「如意輪観音菩薩像」。↓

秋季大祭の「奉納相撲」は、この土俵で行われるのかな。↓

「流鏑馬」はというと、写真で見た感じではこの細い道を通るっぽい。↓

そしてこちら『明神鳥居』については、

こんな説明書きがありました。↓

記述にある「もともとの扁額」。↓

また毎年4月の中旬頃、この鎮守の杜へアオバズクが飛来してくるのだそう。

 

アオバズクというのは、フクロウ目フクロウ科アオバズク属に分類される鳥類。

(※アオバズクのお話はこちらでも!↓)

さて今回、こうして【現人神社】を訪ねたわけですが、ここで皆様へ伝えたい注意が一つ。しっかり聞いていただきたい。こっちの鳥居じゃないですからね!!気を付けて!↓

危うくだったから、実際のところ。くれぐれも。終わります。

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【現人神社】

福岡県那珂川市仲3-7-8

HP:現人神社