立ち塞がった大岩は祈るが吉【那珂川裂田溝02/03】
前回の続きです。(→神田は無事に作られたのだった【那珂川裂田溝01/02】)↓
前回、【裂田溝】と呼ばれる人工用水路を辿って、那珂川市山田地区にある「一の井手」から「裂田溝公園」までやってきた私ですよ!?こんにちは。↓
地図で確認するとこんな具合。赤ラインが前回のあしどりで青ラインが今回進む予定の道筋です!↓
さて【裂田溝】というのは「遠い昔にこの那珂川山田の地に造られた、農業用の人工用水路のこと」だということを前回知りました。
また「裂田溝公園」には、【裂田溝】の始まりとも言われる「神功皇后伝説」の重要アイテムである「御立石」が置かれていて、昨日も今日も那珂川シティの安全を見守っています。↓
また公園内には他にも【裂田溝】にまつわる説明書きが色々とあって、読んでいると賢くなった気がしてきたのであった。↓
さて、それでは先へ進み【裂田神社】へ向かいたいと思います。↓
水路を辿って、道なりに進む。こちらは「景資橋」で↓
ここを右へと進んでいけば↓
【高津神社】が鎮座していて(→映える隙がまったくなかった【高津神社】)↓
そこからさらに山を登っていくと【岩門城跡】に辿り着くんだけど↓(→16ビートで山登ってみた【岩門城跡】)
今回は水路に沿ってそのまま進みます。↓
すると「城の下」の信号があって↓
ここは、先ほど見た地図によれば「横断注意」らしいよ。みんなも気を付けてください。
さて無事に横断したら、目の前に一層の田園風景が広がっていて↓
あのこんもりした山?丘?は「安徳台」というんだそうです。↓
のんびりしている。↓
そして辺りはこんな感じ。↓
半円状になっているところを、道なりに沿って進んでみると↓
ここはきれいに整備されていて↓
あじわいのある雰囲気。↓
そばに案内板がありましたので↓
読んでみたいと思います。↓
裂田溝の名前の由来は日本書紀の記載によるもので、その記載の「大岩が立ちふさがった」場所がここ「裂田神社」の裏手だと言われています。
こちらはその大岩に関する写真とのこと。↓
そう、ここは「裂田神社」の裏手にあたるんです。ということは、この辺りに大岩があったということなのでしょうか。↓
こちらが「裂田神社」の鳥居で↓
境内に由来書きがありましたので↓
読んでみるとこんな具合。↓
裂田神社は安徳、宇竜頭にある裂田の溝を祈念して「神功皇后」を祀っています。朱塗の拝殿には絵馬が所せましと奉納され、その奥に神殿。
そして↓
神殿の扉には菊花の紋章。境内には、明治39年の鳥居をはじめ狛犬・注連掛石などが、杉の老木や古株と並び、裂田の溝が周りをめぐっています。
とありました。さて、少し長くなりましたので、今回はここまでにしたいと思います。
続きは次回に。よろしくどうぞ。
続きはこちら!(→気付けば歴史に流されて【那珂川裂田溝03/03】)
【裂田神社】
福岡県那珂川市安徳11