炭化米が見つかったからここは焼米ヶ原【焼米ヶ原】

前回の続きです。

前回、四王寺山登山から『太宰府口城門』まで辿り着きました。

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今回は、いよいよ【焼米ヶ原】を訪ねたいと思います。こんにちは。

そして訪問が済んだら家まで全力ダッシュで帰りたい。それでは元気にスタートです。

焼米ヶ原の駐車場から奥へ進むと

この景色。

右に土塁が続き、そして

奥まで進めば【焼米ヶ原展望台】。

その手前の広場のところに案内板がありましたので↓

読んでみたいと思います。↓

大野城跡、尾花地区。ここには10棟の建物の跡が残っている。これらは礎石が各建物の範囲内に碁盤目状に配置されており、床を人の背丈ほどに高くし、それらを柱で支える建物であった。このようなもので有名なのは東大寺の正倉院。大野城でも倉庫として武器や食料の備蓄のために建築されたのだろう

続きます。↓

10棟の建物は、ほぼ南北方向に5棟が一列に並び他の5棟もそれぞれ計画的に配置されている。建物の大きさは梁行6.3m、桁行10.5mで統一されている

とのこと。配置図と復元図。建物はS字のように配置されてるっぽい!?↓

三十三仏めぐりの案内、そして↓

こちらにも説明書きが。↓

読んでみますね。↓

大野城跡と四王寺山。四王寺山の名で親しまれるこの山は昔、大野山とも呼ばれ、万葉集にも歌われています。665年にはこの山頂全体を城とする大野城が築かれ、大宰府を守る役目を果たしました。延々続く尾根はその時の土の城壁であり、ところどころに石垣や倉庫跡の礎石も残っています。のちに四王寺という寺も建てられました

かつては大野山だったんだって!知りませんでした。わくわくしてきた。

 

あちらのこんもりしたところには、碑が立っており↓

そばに寄って見てみると『大野城「立」四王寺址』と記されている。記されてはいるんだけど、真ん中の「立」みたいな字はなんて字ですか。

で、調べてみたら、これは『站(たん)』。たたずむ意だそうです。

それから「三十三体石仏第5番 千手観音」の姿も。↓

さらに広場奥へと進んでいくと↓

高いところになにやら色々並んでいます。とってもごちゃごちゃしている雰囲気!ああこれが幸福感!↓

まずはこちら『玄清法印之墓』。↓

石碑には『天台宗玄清法流開祖』とあって↓

以前、坂本地区に『玄清法印之墓』を訪ねたことがあって

その時のお話を引用すると↓

玄清法印は823年に入滅。しばらくはお墓の場所が判明せず、1834年に四王寺山の焼米が原に碑が建てられて

それから1901年、この地に【成就院】の跡が発見されたので、ここにお墓が建てられた、ということみたい

とありました。ちなみに、今回の登山時にも、すぐそばを通り過ぎてきましたよ。

さらに丘を上っていくと、

そこは【焼米ヶ原展望台】で↓

どうですか。この眼下に広がるビュー具合は。怖いけど美。↓

展望台を下ってからも、土塁に沿って道なりに進んでいくと↓

すぐのところに「三十三体石仏第7番札所 如意輪観音」、そして↓

さらに右へ下って行くならば、そこにも石仏ありますよ!?その上、水瓶山へと続きますよ!?と案内は私に告げている。でもそれはまた別の機会に。↓

すると今度は左手に

「三十三体石仏第8番札所 十一面観音」の姿。といったところで↓

今回はこの辺りで引き返し、さきほどの広場奥に広がる焼米ヶ原の森の中へ向かってみることにします。

「三十三体石仏第6番札所 三宝荒神」。↓

焼米ヶ原の説明書き。↓

読んでみると↓

焼米ヶ原(宇美町大字四王寺)。ここから炭化して黒くなった昔の米が見つかっているので焼米ヶ原

とのこと。歴史クラブのみんな、サンキュー。↓

さらに、やや薄暗い森の奥にも説明書きがありましたので↓

読んでみますね。

尾花礎石群について。大野城跡に確認されている70棟ほどの建物跡の中で、最も山頂に近い位置にある礎石群。3間×5間の建物が同じ向きで10棟確認されており、そのうち1棟の礎石周辺には黒く炭化した米が今でもみられることから「焼米ヶ原」。平野部を見下ろせる眺望の地であり、建物群は食糧などの倉庫だったと考えられます

探せば黒い米が見つかるってこと!?ロマンあふれて。春。2024。↓

ちなみに、以前訪ねた『宇美町立歴史民俗資料館』の館内には↓

焼米ヶ原に関して、こんな展示がありました。↓

読んでみます。↓

焼米ヶ原では今でも黒く炭化した当時のお米を拾うことができます。黒くなっているため、江戸時代の人が焼けた米と思い、焼米ヶ原の名前がついたと考えられます

といったところで、そろそろ下山のお時間です。

帰り道は、いくつかあった「政庁口ルート」の一つを試してみます。

そしたら最終的に『玄清法印之墓(坂本地区)』そばへと辿り着きました。

それは、登山上り口からやや下った場所であり、かつ、登山時に見たこの看板が架かっていた場所。ということは

『大野城の大石垣』を通らなかったぶんだけ、下りのルートのほうが近道になるのかな。どうでしょう。とにかく以上で、四王寺山登山はおしまい。

今回の総括としましては、「石垣」と「土塁」の魅力に気づかされた登山となりました。ご清聴ありがとうございました。

終わり。

【焼米ヶ原】

福岡県糟屋郡宇美町四王寺126