首が落ちたり胴が落ちたり2/2【菊池霊社(首塚)】

前回の続きです。↓

前回、福岡市城南区の七隈地区に鎮座する【菊池神社】を訪ねました。↓

この【七隈菊池神社】には、南北朝時代の肥後の武将である菊池武時の「胴」が祀られていたわけですが↓

今回は彼の「首」が祀られているという言い伝えのある、福岡市中央区六本松の【菊池霊社】を訪ねてみたいと思います。↓

前回にもお話した通り、菊池武時は後醍醐天皇の綸旨をうけて打倒鎌倉幕府を掲げ、1333年に博多の「鎮西探題」を攻めますが、少弐・大友の離反や反撃にあって敗死。

武時(の亡骸)は、馬に乗ったまま首を落としたり胴を落としたりしながら、福岡シティを駆け抜けたという言い伝えがあるらしいんです。↓

今回は、その『首塚』のほうを訪ねるというわけです。

さて福岡市中央区の別府橋通りの向こうに見えるのが【護国神社】(↑)で↓

通りの向かいに鎮座するのが【菊池霊社】。境内隣は公園になっています。↓

そばに案内板があって↓

読んでみるとこんな具合。↓

元弘3年、天皇方の『菊池武時』は倒幕のため鎮西探題を攻撃しましたが討死しました。

菊池方の多くが犬射馬場(現在のJR博多駅あたり)で晒し首になりましたが、武時の首は馬場頭(現在の六本松)に葬られ、その場所が首塚【菊池霊社】となりました。

胴体は現在の城南区に葬られたといわれており、その場所が【菊池神社】として七隈四つ角にあります

こちらのお話によりますと、馬から頭や胴が落ちたのではなく、それらが葬られた場所というのがそれぞれ【菊池霊社(首)】と【菊池神社(胴)】ということみたい。

 

確かにそう考えるのが現実的ではある。さて、それから時を経て明治35年には↓

明治天皇が馬場頭の武時の霊に従一位を贈りました。これを記念し近隣住民が費用を出しあい「贈位之碑」を建立。昭和7年には「菊池寂阿(武時)公之墓」と「鳥居」が建てられました

こちらが「贈位之碑」で↓

そして「菊池寂阿(武時)公之墓」。↓

今回の訪問で、武時は鎮西探題で討たれたあと、他の菊池方とともに犬射馬場でさらし首にされた、というお話を知りました。そしてお話はまだあって↓

こちらの【菊池霊社】というのは、尊王攘夷派で知られる平野国臣(↓)が中心となって建立したものですよ、というお話もあるらしく。

まつわるお話がたくさんで、複雑にからみあっているう。完。


【菊池霊社(首塚)】

福岡市中央区六本松3丁目12-7