二の丸とか三の丸とか言われても知らん【福岡城08】
前回の続きです。↓
前回と同様に今回も、「護国神社」前のバス停から福岡城散策を始めたいと思います。↓
え?確か集合場所は「舞鶴公園入口」だった筈だけど?↓
気にしない気にしない。今回も元気に散策していきましょう。↓
ではさっそく、バス停前の池のところからスタートして「舞鶴公園線」のゆるやかな坂道を進んでいきます。↓
左の向こう側には「福岡市美術館」の姿を確認。↓
右側には、ああ美しい『多聞櫓』が顔をのぞかせている。↓
さらに進むと藤棚があって↓
その左奥には、
今日もいい雰囲気の『名島門』。↓
通りの向かいには『舞鶴公園』のプレートが貼ってあって、↓
ここを真っ直ぐ進めば、
「鴻臚館広場」(↑)へと道は続きます。↓
今回は『舞鶴公園』プレート脇からグーンとのびている、↓
こちらの坂道を上って『天守台』を目指します。こんにちは。↓
そばに案内板がありましたので↓
さっそく読んでみましょう。↓
福岡城は黒田長政が7年をかけて築いた城の跡。『天守台』を中心にして「本丸」「二の丸」「東西の三の丸」からなり、周囲を掘で囲む構造。47の櫓のうち「多聞櫓」「祈念櫓」「伝潮見櫓」は現在でも見ることができます
そして↓
藩主ゆかりの地である「備前国福岡」にちなんで福岡城。別名「舞鶴城」とも呼ばれています
またそばには『三の丸(松ノ木坂)』の説明書きもありましたので、↓
読みますよ。↓
現在地は三の丸の「松ノ木坂御門跡」へ続く入り口にあたり、ここから「二の丸」「本丸」「天守台」へと城内を登っていくルートの一つでした。ここ「三の丸」には藩主を支える家老たちの屋敷群がありました
とのこと。では「三の丸」から坂を上って「二の丸」へと進みます。↓
上り終えたこちらのスペースが「二の丸」で、
あの石垣の上が「本丸」ということになるのかな。↓
左右に分かれる「二の丸」を、まず左へ向かいます。こちらは現在「梅園」としてきれいに整備してあって↓
ちなみに右へ進めば、↓
「南の丸(多聞櫓)」へと続きます。↓
「二の丸」すぐのところには、↓
「大組櫓跡」があって↓
そのまま梅園(二の丸)を突き進んでいくと、↓
左側には下る坂。↓
右側には上る石段。↓
そしてこの下り坂は↓(下った場所から振り返った図)
「扇坂御門跡」。↓
そばに案内板がありましたので↓
読んでみるとこんな具合。↓
【二の丸(二の丸御殿・水の手・お綱門)】。福岡城の「二の丸」は大きく「二の丸」「東二の丸」「南二の丸」に分かれ、現在地は「東二の丸」にあたります。現在は運動場になっている北側まで石垣があって「二の丸御殿」が建っていたようです。その南側は貯水池となる「水の手」でした
また、↓
「東二の丸」から扇坂を抜けると現在は梅の名所として知られる「二の丸」へ続きます
ちなみに私は逆の流れで歩いているので、「二の丸」から「東二の丸」へ向かっているというわけです。参照はまだ続きます。↓
この「扇坂」の近辺にかつて「お綱門」と呼ばれる門がありました。(「お綱門」=「扇坂御門」なのか「お綱門」=「東御門」なのか、はたまた別の門なのか諸説あり)
門柱に触れただけで熱病に冒されたり、夜中にうなされたりするといわれたその門には、恐ろしくも哀れな言い伝えがあったのだ!!
これはシンプルに言っていまうと↓
愛人にどっぷりはまってしまい妻と子を捨てた夫を、文字通り「や」ってやろうと、城までやってきた妻お綱。しかし斬りつけられてしまい、城門そばで息絶えてしまったのでした
ああ哀しいストーリー。↓
ちなみにこちらは以前、東区箱崎地区を訪ねた際に『枯野塚』(↑)にて聞いていたお話ですね。↓
「扇坂御門」を抜けるとその先には広い運動場が見えます。先ほどの説明によれば、この運動場の地にかつて「二の丸御殿」が建っていたとありました。↓
運動場から右手を見てみると、工事中。↓
残念無念!『祈念櫓』!↓
ここからさらに真っ直ぐ進んでいくと、↓
左手に「東二の丸跡」の石碑があって、↓
それから「平和台陸上競技場」がいい感じに見えています。↓
石碑のちょっと先には「烽火(のろし)番所跡」があって、↓
その脇から、下り坂がのびているので、↓
さっそく下ってみると、石段のそばに「東御門跡」の石碑。え?あれえ?そうです。そうそう御名答!↓
こちらは、以前訪れた『鴻臚館跡資料館』そして『福岡城れきし探訪館』のすぐそばにあったあの「東御門跡」。↓
戻ってきた感がすごい。館だけに!みんなただいま!
「三の丸」と「二の丸」はこちらからでもつながっていることが分かりました。↓
といったところで、きりがいいので今回はここまでです。↓
次回はここから再び「二の丸」へ戻り「本丸」そしていよいよ「天守台」へ向かいます。↓
集合場所はここ「東御門跡」。↓
よろしくお願いします。↓
【福岡城】
福岡市中央区城内