たびととタビットとれいわ姫【太宰府市文化ふれあい館】
前回の続きです。(→山頂にもあるよでも里にもあるよ【筑前国分寺跡】)↓
これまで私は【太宰府市文化ふれあい館】へ見学に行こうと思い立ち、その道すがらに『国分天満宮』や『国分寺』そして『筑前国分寺跡』を訪ねてきたのであった。↓
今回はようやく【太宰府市文化ふれあい館】へと向かいたいと思います。↓
『国分寺』前のゆるやかな坂道を上っていくと、道沿いに「国分アンビシャス広場」があって↓
その真向かいに【太宰府市文化ふれあい館】がありました。『国分寺』からはわりとすぐそば。↓
ずいぶん立派な建物で、なんだか入り口も堂々としておる。
建物の周囲を囲む壁面には、水城跡の写真だとか↓
「岩屋磨崖石塔」を表したレリーフだったり↓
こちらは「文様せん」と呼ばれるものなんだそうです。太宰府にまつわるものが色々と紹介されていました。↓
こんな説明書きもありましたので↓
さっそく読んでみることにしました。↓
【文化ふれあい館】が出来る前、ここは福岡県の職員住宅でした。それからはるか昔には、発掘調査によると、東西方向の2本の溝があって、これは奈良時代の道路の側溝と考えられます。この道路を西へ辿ってみると、博多方面から水城の東門を通って大宰府に至る「官道」へと接続しているのである。
とのこと。
こちらは【文化ふれあい館】のエントランスだけど↓
その脇を抜けていくと↓
ご覧の通り、国分寺の七重塔(模型)が展示してあります。前回、国分寺を訪ねた時に、そばに立っていた説明書きに七重塔に関する記述がありました。↓
さらにすぐそばには「箱式石棺」のレプリカ?もあって↓
説明書きによれば↓
こんな具合。↓
「箱式石棺」は弥生時代から古墳時代のお墓で、九州や山陰地方に多くみられます。石を並べて小さな部屋を作り、その中に遺体を埋葬し、何枚かの石で蓋をしたものです。右が宮ノ本遺跡7号墳、左が宮ノ本遺跡6号墳、中央が成屋形遺跡。
ではそろそろ館内へお邪魔しますね。↓
へい!こんにちは。↓
館内では「斉藤秋圃」特別展示をやってました。↓
一応ね。↓
さて、特別展示をしっかり満喫しましたので↓
私は館をあとにして↓
もう1ヶ所、気になるところへ向かうつもりなんですけど。↓
続きは次回に。よろしくどうぞ。(→ここもあそこもだいたいなにかしら【国分瓦窯跡】)
【太宰府市文化ふれあい館】
福岡県太宰府市国分4丁目9-1