熱狂で石を投げ合う石投げ相撲【岩崎神社】

ずいぶん前の出来事なんですが、ある日なんとなく糟屋郡の志免町近辺を散策していたんです。

そして福岡太宰府線を駆け抜けていたら、通り沿いにこんな鳥居を見つけたのでした。

その時は写真だけ撮って、また今度訪ねようと思っていたんですけど、

そのままそれっきりになっていたんです。すっかり忘れてた。こんにちは。

 

先日ふと、そのことを思い出しましたので、今回訪ねてみますよというお話をしたいです。

では、さっそく志免町へ向かいます。↓

目の前に、以前見かけていた鳥居が!↓

扁額には【岩崎神社】とあります。↓

鳥居をくぐって境内へ。↓

途中で振り返ってみるとこんな風景。

境内は広く、そしてゆったりした空気が流れています。↓

こちらの碑には、廣田弘毅による『興風會之碑』の文字。興風會!?どういう意味なんだろう。↓

二の鳥居。↓

おやおや、ずいぶんと躍動感のある↓

狛犬じゃないですか!どもども。↓

境内には、あちこちにいくつも石碑があって↓

そして狛犬である。↓

どもども。↓

三の鳥居。↓

注連縄柱。↓

四の鳥居からの↓

狛犬である。↓

どもども。↓

社務所があって↓

撫で牛。↓

造営の碑。そして↓

手水舎。↓

略記によりますと↓

ご祭神は「海津見命」「玉依姫命」「伊弉諾命」「筒男命」「息長足姫命」。

 

略記のそばに年表もありましたので、ざざっと読んでみると、そこには↓

例えば、いくつもある鳥居の其々の歴史が記されていたり

また、かつて悪疫が流行した時代に、その平穏を祈願感謝して村の若者が奉納したという「石投げ相撲」の記述もありました。石投げ!?なにそれ。良く分かりません。そこで

どんな相撲なのか調べてみると、志免町のHPに詳しい説明書きが。参照させていただきます。↓

江戸時代、牛馬の悪疾が流行しました。施すすべもなく、神の御加護を祈るほかはありませんでした

そこで村人は↓

牛馬の神である大行司様にお祈りしました。するとたちまち悪疫は治まりました。村人は、大行司様への祈願の日九月一日に、若者たちの相撲三三番を奉納することにしました

そんな石投げ相撲ですが↓

次第に奉納相撲の意義がうすれ、熱狂のあまり石を投げ合うほどとなりました

そういったことから、誰言うとなく「石投げ相撲」。なんですが↓

礼を重んずる相僕本来の姿を取りもどし秩序あるものに。体育奨励の意味もあって、初秋の一日を楽しむ行事として定着してきました

ということだそう。現在も続いているのかな。土俵はどこにある(あった)んだろう。

さて、こちらが社殿。↓

からの↓

狛犬である。↓

どもども。↓

振り返るとこんな景色。↓

本殿。↓

境内社の「恵比寿神社」。↓

境内社の「神武天皇社」。↓

境内社の「天満宮」。↓

境内社の「秋葉宮」。↓

境内社の「若八幡宮」。↓

ご神木。↓

御潮井。↓

絵馬堂。↓

説明書きがありましたので↓

読んでみたいと思います。↓

黒田二十四騎図。絵馬堂の正面奥に掛けられています。黒田長政の用いた水牛脇立兜を中心に、その両脇に黒田家の旗と馬旗を描き、その下に家臣二十四名を配しています。本図は「丁場連中」と称する人々の奉納です

丁場というのは一般的には運送や人力車夫、道路工事の持ち場なんかを意味するらしいです。

 

隙間からちらっと失礼して。↓

実際にはこういう具合。↓

志免町指定文化財とのこと。といったところで、

境内の散策と参拝はおしまいです。

前から気になっていた場所を、今回こうしてあらためてきちんと訪ねることが出来ました。そんなゴールデンウィイク。


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【岩崎神社】

福岡県糟屋郡志免町志免4丁目4-1