大鳥居は千年の時を越えて【鳥居町の大鳥居】
つい先日、初めてJR二日市駅の西口から電車を降りてみたら↓
ロータリー右すぐのところに駐輪場があって↓
駐輪場前のフェンスに説明書きが張り付けてあったんです。↓
おやおやと思ってさっそくそばへ寄って読んでみると、どうやらこの駐輪場がある場所というのは↓
かつて「木炭槨木棺墓」があった、古代墳墓群「堀池遺跡」らしいのだ!がーん。↓
っていうのが、前回、西口から二日市を訪れた時の出来事。↓
それから時を経て、再び西口へ降り立ちましたので、今回はそのお話です。こんにちは。↓
さて西口ロータリーから駅前大通りを真っ直ぐ南西の方向へ進むと↓
通り沿い右に!いきなり!立ってるんですけど!?
なんです!?いったいなにが起こってるんです!?
扁額には「天満宮」の文字。↓
鳥居の足元っていうんですか、その真ん前のところに説明書きがありましたので↓
さっそく読んでみるとこうありました。↓
鳥居町の大鳥居。鳥居町の大鳥居は二日市西2丁目に市道を跨いで立っていました。道真公が大宰府で没した延喜3年(903)から数えて千年、明治35年(1902)年の菅公一千年祭に伴い、湯町の旅館主ら10人によって寄進
二日市西2丁目というのは、この鳥居のある近辺のことであり、↓
また、この鳥居は一千年祭の一環として立てられたいうことが分かりました。ちなみに現在から一千年前にあたる1024年頃の出来事ってなんだろう。気になりましたので↓
以前訪ねた『筑紫野歴史博物館』内の年号表を確認してみると、一番近いのが1022年。↓
1022年。安楽寺の菩薩院に紫田50町が寄進される
とあって、だからなにってこともないけど、一応ご報告でした。さて説明書きは続きます。↓
この場所が選ばれた理由は定かではないが、二日市と湯町をつなぐ本通り沿いであったこと、二日市停車場(現JR二日市駅)の近くにあって湯町温泉街の入り口にあたること、たおやかな天拝山の山容と天拝社を望む絶好の場所であることなどから、と考えられます。なおこの大鳥居は「鳥居」という地名の由来であり、街づくりのシンボル。大切な歴史遺産
とのこと。こちらは、説明書きに添えられた昔日の写真。昔の風景は味わいがあってステキです。↓
通りに沿ってこのまま進んでいくと、道は湯町へと続き、そしてその向こうには天拝山の姿を確認できます。↓
ここでちょっと鳥居の裏側にまわってみることにしましょう。↓
するとそこには、説明書きの中にあった「一千年祭」の文字が記されており↓
こちら向きに通りを真っ直ぐ進むと、そのまま「JR二日市駅西口ロータリー」へ舞い戻るという形。といったところで↓
そのまま鳥居をあとに、二日市の街へと駆け出したのであった。それから時は過ぎ、↓
再び二日市を訪ね、そして、とある橋を渡ったお話は、また別の機会を待ちたい。↓
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【鳥居町の大鳥居】
福岡県筑紫野市二日市西2丁目4-8