知ってたつもり02/04【春日伯玄社遺構】

前回に引き続き、『水城』にまつわるお話をしたいと思います。(→知ってたつもり01/04【春日小水城(推定)】)↓

『水城』というのは、かつて「唐・新羅」からの攻撃に備えて造った、土塁と外濠からなる防衛施設。全長約1.2キロとも言われていて↓

いわゆる「水城本体」とは別に、平野の谷あいをしっかりカバーするための小さな水城「小水城」も数か所造られていたのだそうです。↓

私はその小水城なんかも色々と知った気になっていたんだけど、さっそく2ヶ所も知らない小水城が判明したのであった。

というのが前回のあらすじです。その判明した2ヶ所というのは「春日土塁(推定)」と「小倉水城(推定)」。↓

実は私、この2ヶ所に関してちょっと心当たりがあるんです。そこで、まずは「小倉土塁(推定)」から訪ねてみたいと思います。こんにちは。



なぜ心当たりがあるのかといいますと、私は以前に春日の「小倉」という地区を訪れたことがあって(→嫁ごの尻たたき【小倉住吉神社】)。↓

その辺りは坂道に囲まれていて、それはまるで谷あいのような「小水城」的な地形だったんですよ今思えば。↓

だから、さっそく向かってみたいと思います。31号線を福岡方面から筑紫野方面へ進みます。この左隣りは春日自衛隊駐屯地。↓

そして宝町の交差点を「ふれあい文化センター」へ向けて右に曲がれば↓

もう坂道、ほら。この坂道は「春日横断通り」という名称だそうで↓

しばらく進んだ先をちょっと右へ入っていくと『小倉住吉神社』に到着するというわけ。↓

私はね、ここ「春日横断通り」近辺こそが、『小倉土塁(推定)』に違いあるまいと推定していたんです。名前も地形もどんぴしゃだから。

せめて案内板でもないかなと思って探してみたけど、ありませんでした。(推定)っていうくらいだから、無くて当然なんだけど。↓

だけど、また別の気になるものを発見したんです。聞いてください。通り沿いに、モワっと森というか土塁っぽいところがあって↓

場所でいうと、春日市商工会の隣というか敷地内なのかな。私は分かりません。↓

やっぱり私の言った通りじゃん!?これが小水城か!とか言ってそばへ近寄って見ると↓

そこには祠があって案内板がありましたので↓

さっそく読んでみると、こんな具合。↓

ここは伯玄遺跡。弥生時代前期から古墳時代にかけての墓地を中心とする遺跡。公民館建設の調査で甕棺墓、土壙墓、竪穴式住居、時代は下って鎌倉室町時代の伯玄神社遺構が発掘されました。

また↓

副葬品の少なさから、王墓で知られる『須玖・岡本遺跡』とは対照的な、農耕集落の共同墓地と考えられます。

とのこと。『須玖・岡本遺跡』は、以前訪ねたことがあります。(→巨石の下でアイテムゲット【奴国の丘歴史公園】)↓

つまりここは遺跡かつ神社でもあるとのこと。境内には石碑が立っていたり↓

社殿というのか祠というのか、が鎮座しています。↓

そばには由来書きもあって↓

こうありました。↓

ご祭神は「大己彦命(おおなびこのみこと)」「伯玄明王」「えびす天」「大黒天」。はっけんどんを祀る神社。

で、はっけんどんというのは

働き者・大食い・力持ち・頑固・おもしろい・正直者・医者・僧侶・やさしい・大男・農業の神・小倉のヒーロー。

とのこと。小倉の文字が!!でも残念ながら、土塁とはまるで関係がないみたい。

さらに説明書きと、絵馬というか絵画もあって↓

そこにはこんな記述がありました。↓

(春日の)小倉に、働き者で大飯を食う「はっけんどん」という大男がいました。熱中症の馬を治したり博多から筑紫野までの田をすいたりと、この地区を支えたヒーローがはっけんどん。

そしてそのヒーローの名が刻まれたのが、この地「伯玄町」ということ!?なのか!?いずれにしても、小水城にはつながりませんでした。悲しみ。↓

でもね、それもそのはず。なぜなら「小倉土塁」はここじゃないから。↓

じゃあどこなのか。それは次回に分かる仕組みになっているのであった。(→知ってたつもり03/04【小倉土塁(推定)】


【伯玄社】

福岡県春日市伯玄町2丁目24