やつれ姿のかすむ春かな、かな!?【鏡天満宮】
先日、福岡市博多区の下川端地区に【鏡(かがみ)天満宮】を訪ねましたので、そのお話です。↓
【鏡天満宮】は、商業施設「博多リバレイン」のビルの脇辺りにさりげなく鎮座。↓
神社前には「博多川」が流れ↓
神社隣りにはホテルオークラが建っている、そんな場所。↓
ご祭神は「菅原道真公」。
ところでここで一つ疑問が。【鏡天満宮】の名前にある『鏡』というのはいったいなにを指しているのか。↓
境内に由緒書きがありましたので、まずはそちらを読んでみたいと思います。↓
【鏡天満宮】。延喜元年(901)に大宰府へ左遷された菅原道真公が、博多に上陸された第一歩の地で休憩の時に「海路の疲れでやつれた顔を鏡に映してご覧になった」
と伝えられる、『鏡』を祀った神社です
つまり「鏡」がご神体の神社ということみたい。
一説には、その時のお供とその子孫が道真公を慕い、彼らが祀った神社をはじまりとして、『奴天神』ともよばれています
また↓
当時この辺りは博多の「渡唐口」とよばれ、遣唐使が多く行き交い、その遣唐使であった最澄が建立したという『冷泉寺』がこの地にあったとも伝えられます
それから平安時代末期には↓
平清盛によって袖の港が築かれ日宋貿易の玄関口になりました
とのこと。また由緒書きの最後には、道真が降り立ったときの気持ちが読まれた歌が刻まれており、それがこちら。↓
鏡にも なきつみとかは 見えやらで やつれすかたの かすむ春かな
こちらは鷽(うそ)といって、道真公の遣いの鳥。↓
撫で牛。なでなで。↓
そして境内社の『澤姫稲荷神社』。ご祭神は保食神(うけもちのかみ)。↓
【鏡天満宮】はこれまで、中世の戦火そして太平洋戦争での被害で場所を変えつつ再建され、1999年の博多リバレイン建設に伴って現在のこの地へ遷座されたのだそう。
鳥居脇には「渡唐口跡」と刻まれた石碑も立っている。
かつてこの辺りは入り江になっていて、すぐそばが海。
遣唐使はここから船で旅立ったといいますし↓
また道真公は、ここから九州上陸を果たし↓
さらに大宰府へ向け、涙涙の悲しい旅路を続けるのであった。
【鏡天満宮】
福岡市博多区下川端3-1